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マデリン・ペルー

マデリン・ペルー

2013年10月2日(水)19:00
2013年10月3日(木)21:30

マデリン・ペルー(Vo、Gt)
バーンド・ショーンハート Bernd Schonhart(Gt)
テッド・ベイカー Ted Baker(Key)
バラク・モリ Barak Mori(Bs)
ダレン・ベケット Darren Beckett(Ds)
シルヴィア・ダヴァンゾ Sylvia d'Avanzo(Vn)
ヒロコ・タグチ(Vn)
ユイコ・カマカリ(Va)
アキエ・シラカミ(Vc)

ビルボードライブ東京


1. Take These Chains from My Heart (w/SQ)
2. Bye Bye Love
3. Guilty (w/SQ)
4. Born to Lose (w/SQ)
5. Changing All Those Changes
6. Don't Wait Too Long (w/SQ)
7. La Javanaise (w/SQ)
8. Half the Perfect World(w/SQ)
9. You're Gonna Make Me Lonesome When You Go (w/SQ)
10. I Hear Music
11. I Can't Stop Loving You
12. Bird on the Wire (w/SQ)
13. Dance Me to the End of Love (w/SQ)
14. Desperadoes under the Eaves (w/SQ)
~アンコール~
15. Careless Love


10月2日の1stと10月3日の2nd、2日間のスケジュールのうち最初と最後を聴いた。今回のライヴで特徴的なのは弦楽四重奏の存在、マデリン自身が「スバラシイレイディーズ」と呼ぶ奏者たちである。Sylvia d'Avanzをはじめとするプレイヤー(日本人女性プレイヤー3人を含む)とのマデリンの打ち解け方、こなれ方がとても印象的だった。

初日、バンドに異物がいるという感じだったのが、2日目の2ndではスバラシイレイディーズがバンドに欠かせない一部になっていた。ポップ音楽、とりわけヴォーカルとストリングスの組み合わせはいける。バカラックのバンドは例に挙げるまでもないし、その他にエルヴィス・コステロとブロドスキィ・クァルテットくらいしか私は知らないけれど、ストリングスはマデリンの歌、芸風にとても合っている。I want to come back with this kind of stuffと言っていたから、おそらく彼女も自分の歌との相性の良さを自覚したのだろう。

Ray Charlesのカントリー&ウェスタン曲集からのナンバー(1~5、11)はわりあい微温的。しかしSQによって十八番の7が室内楽のような様相を帯びたし、6、8、9も録音で聴かれない感興をもたらした。

クライマックスはBird on the Wire(L. コーエン)とEsperadoes under the Eaves(W. ジヴォン)。ここでもSQが活躍。それぞれ1本ずつの映画を観せられたかのようだった。CDのライナーノーツでマイケル・カスクーナ(!)が書いているように、マデリンという歌手の本質はストーリーテリングにある。

こんな人は、いる?

# おっと、10. I Hear Musicでのベースソロ、ドラムソロのことも書いておかなければ。バラク・モリ(Bs)、ダレン・ベケット(Ds)、素晴らしい。

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2013/10/07(Mon)
ライヴ - その他の音楽 | trackback(0) | comment(0) |


大井浩昭 POC #13 ファーニホウ全ピアノ作品+シャリーノ・ソナタ全5曲

2012年12月12日(水)18:30
大井浩昭(ピアノ)
Portrait of Composers 2012(POC #13)
ファーニホウ全ピアノ作品+シャリーノ・ソナタ全5曲
けやきホール

[曲目]
ファーニホウ:エピグラム(警句)(全6曲、1966)
シャリーノ:ソナタ第1番(1976)
ファーニホウ:3つの小品(1966/67)
シャリーノ:ソナタ第2番(1983)
シャリーノ:ソナタ第3番(1987)
~休憩~
ファーニホウ:レンマ-イコン-エピグラム(見出し-挿絵-解題)(1981)
シャリーノ:ソナタ第4番(1992)
ファーニホウ:オプス・コントラー・ナートゥーラム(自然の本性に抗する業)——影絵芝居(全3部、2000)
シャリーノ:ソナタ第5番(1994)


過剰、飽和、極端――そんなたぐいの言葉で形容するなら、これまで聴いたPOCシリーズの中でも屈指のプログラムではなかったか。シリーズ中には聴き逃した回があるし、集中力が持続できず途中離脱した回もある。しかしこのたびの、ピアノ内部から部品が飛び出す事件性(ピアノの弦が切れるのを目撃したのは初めてなので当初そう認識した)といい、後半、特にシャリーノ:ソナタ第4番での鬼をも拉ぐ豪演といい、呆気にとられた。奏者はさすがにかなり消耗気味の様子だった。

入り組んだ迷路に分け入るがごとくのファーニホウ作品に対し、アイデア一発で一筆書きするシャリーノ作品。創意工夫の多寡という物差で測れば、ファーニホウのほうがシャリーノより100倍ていねいな仕事をしていることは素人目にも明らかである。ところが実際の演奏効果、聴き映えとなるとシャリーノ作品に分がある。特にトーンクラスターを多用するビジュアルの効果が上乗せされる。理知、技巧よりも、無手勝流、シンプルさが勝る。こういうことが起きるのは何も音楽だけに限ったことではない。

全曲完奏後、カーテンコールに呼ばれた大井は、シャリーノ:ソナタ第5番にベートーヴェンの第九の引用(第四楽章、night diese TöneのE-F-E-H-B-C)がある箇所を種明かし。ソナタ冒頭のアルペジオにそれは隠されていた。

ライヴに足を運びながら生で「現代音楽」に親しもうと努めている。新しい複雑性(ファーニホウ)、特殊奏法のデパート(シャリーノ)といった音楽史上の位置付け・ラベリングもよく知らない。演奏家とプログラムに導かれるまま、周回遅れながらも実演を聴いてみる。今後も目の前に糸が垂れていればぶら下がってみる。私にとってはこれが重要なこと。

今年の演奏会通いは、コンポージアム2011(昨年から順延)のシャリーノに始まり、この晩のシャリーノで終わった。

2012/12/12(Wed)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


ピエール=ロラン・エマール レクチャー

2012年11月22日(木)19:00
ピエール=ロラン・エマール レクチャー
ドビュッシー《前奏曲集》をめぐって
(出演)ピエール=ロラン・エマール
(フランス語通訳)藤本優子
トッパンホール

※話を聞いたメモの書き起こしで、厳密でないところもあります。


ドビュッシーはストラヴィンスキーの陰に隠れて地味な印象があるかもしれませんが、音楽にさまざまな革新をもたらしました。彼は音楽のみならず詩、文学、絵画といった芸術から大きな影響を受けています。『音と香りは夕暮れの大気に漂う』という題名はボードレールの詩からとられた言葉です。『沈める寺』は伝説の町イスを表現したもの。ドビュッシーはポエジーや文学を独学し、象徴派の人々と交流がありました。絵画にも興味を持ち、日本の版画なども所有していました。『妖精たちはよい踊り子』はアーサー・ラッカムの絵からインスピレーションを受け、それを音楽に起こしたものです。色というもの、和声の色合いというものを表現しているのです。『枯葉』にもさまざまな色彩が感じられます。ドビュッシーは自然をとても愛しました。風に関わる2曲のうちの1曲、『野を渡る風』は元気で、かつ肌を撫でる官能性をも感じさせます。一方の『西風が見たもの』は嵐のような風です(それぞれの一節を弾く)。

ビジュアルなイメージで書かれた曲も多い。『ビーノの門』は絵葉書そのものを音にした曲です。ドビュッシーは一度もスペインに行ったことはないのですが、こうしたスペイン風の曲を書きました。ここに見られる乱暴さ、歯が軋むような厳しさは、ドビュッシーの自画像であるかもしれません。曲によっては音楽で人物模写を試みています。『ピックウィック卿をたたえて』はチャールズ・ディケンズの小説の登場人物です。それに対して『交代する3度』は抽象的な作品で、後に書かれたEtudesをアナウンスしているとも言われます。しかしそれだけであるかは怪しいと思います。このように人間的な部分を除いた演奏をすれば(作品の冒頭を抑揚をつけずにのっぺりと弾く)、確かにメカニカルな練習曲のように聞こえるかもしれません。当時、こうした傾向が芸術においても流行していました。産業革命の影響です。ラヴェルも機械を好んだと言われていますね。でもこの作品は、ストラヴィンスキー的なメカニカルと言えるでしょう(適当な強弱をつけて弾く)。ピアニッシモで囁くようにという指示があります。ピアニッシモで弾くとテクスチャーがドライになって、ほとんどリゲティ前派のようです。

メロディのアイデアをどう活かすかという点もドビュッシー作品の特徴です。ドビュッシーは、キャリアの初めではフランスオペラの伝統に沿った、メリスマを持った作曲家でしたし、歌曲集をものにした作曲家でもあります。『霧』でもメロディの要素があります。ここ(弾く)も『牧神の午後の前奏曲』の冒頭のフルート1本の一節を思い出します。『カノープ』ではリボンのような和声が見られます(弾く)。『デルフィの舞姫たち』では和声とメロディが織り交ぜられ、初めはメロディが見えません(弾く)。メロディと和声の垣根を壊したい、境をなくしたいという意図が感じられます。『枯葉』の出だしは属9の和音ですが(弾く)、属9をてっぺんに置くのではなく、一番下に置く。バスにあるべき音が一番上に来る。まさにドビュッシーにふさわしい奇抜な和音です。そして和音は解決しないでサスペンション、一番下に行くだけのまま置かれます。解決せず滑らせる和声進行(弾く)。色を帯びた和音そのものになるのです。「ミ」が繰り返されますが(弾く)、メロディさえありません。1回ごとに違う響き、色を乗せます。違う音の高さ、違う音域を使います。新しい旋法の使い方があります。『カノープ』の中ではモードがあります。第2集2曲めの『帆』は旋法のみで書かれています。フルートのイメージ、心臓の鼓動を感じます(弾く)。半音階のグループに加え、全音階で不安の音を乗せていく。対位法が出てきます(弾く)。突風が吹き、色を変えます。この曲ではペンタトニック、東洋風の音階も聞かれます。

音色の工夫もドビュッシーならではです。ピアノのために書かれた曲なのに、「この楽器のように」という指示があります。ギター、トランペット。『音と香りは夕暮れの大気に漂う』では最後のほうで4本のホルンが聞こえます。楽器を聞かせる天才性、空間の感じさせ方は『月の光の降り注ぐテラスで』で顕著です。ここはホルン(弾く)、そしてその後にハープとチェレスタ、その後にホルンが近くで鳴り、鐘が一つ最後で聞こえます(弾く)。ドビュッシーは音色とその組み合わせに挑戦しました。明日演奏するアイヴスも空間を感じさせるパイオニアでした。

『霧』は、第1巻で成し遂げたことのつながりで第2巻を書いたことを感じさせます。はじめのメロディを低いところと高いところで弾いて、その間を次第に補っていく(弾く)。『月の降り注ぐテラス』の神秘のコラールでは(弾く)、官能性も加わります。最初に上と下で空虚さを感じさせ、その後の豊かな和音で満たすのです。

そして最後の『花火』に至るまで、ドビュッシーは響きの実験をやっていました。遠くのざわめきのようなものまで細かな動きを狭い音域に閉じ込めます。おそらく7月14日の革命記念日の花火大会に出かけて、その賑わい、人々の雑踏を表現したのだと思います。これがさまざまな表現に変化します。予想ができません。ロマン派の音楽は次が予想しやすいのですが、花火大会で次に何が出てくるかわからない楽しさを表現しています。横に広がる空間だけでなく、空間の深みにまでつながっていく。野外でのイベントですから、さまざまなことが起こります。遠くでだけでなく、近くでもうるさいことが起こる。ドビュッシーは4つの音の厚みを使い分け、距離感を表現しています。ロケット花火のようなファンファーレ。最後では何もかも掻き消え、うんと遠くでファンファーレが鳴ります。最後でユーモアたっぷりにラ・マルセイエーズを登場させています。

その他にも、さまざまな引用があります。ドビュッシーはほかの作曲家の作品を借り物として引用することが多い。アイヴスも国歌やポピュラー音楽からの引用が多く共通点があります。引用をどう聞かせるかという点で、さまざまな解釈があり得ると思います。『ピックウィック卿をたたえて』では、あえて仰々しくイギリス国歌を聞かせています。『途絶えたセレナード』の中央部では、窓を開けて聞かせるような、自身の曲『イベリア』の引用があります。『交代する3度』では『春の祭典』の引用があります。耳をつんざくようなホルンの引用です。しかしこれはアンチ春の祭典とでも言いましょうか。『妖精たちはよい踊り子』では、あまりわからないやり方で聞かせる引用があります。3つの音です(弾く)。真夏の夜の夢の、ウェーバーのオベロンの、ホルンの響きです。ウェーバーの曲を聴くと、どれだけドビュッシーが彼の音楽を使ったか、引用と言うより借用したかがわかりますよ。『霧』の左手はペトルーシュカにほかなりません。トランペットもペトルーシュカのものです。しかし右手がヴェールのようにペトルーシュカのテーマを隠しています(弾く)。わかったかなと思ったら、隠して遊ぶのです。最後に霧が掻き消え、ペトルーシュカの和音が現れます。

ドビュッシーは、ストラヴィンスキーやピカソのように、オブジェを切り取って音楽を作りました。ケークウォークのリズムを取り入れた2曲。当時のフランスにいた黒人たちの音楽を面白がる雇い主たちもいて、それを面白いと言い始めました。ドビュッシーはハサミを使ってサプライズを作り上げています。ストラヴィンスキーは数年後にラグミュージックを始めますが、ドビュッシーは別のやり方でハサミを用いて音楽を作っています。

『途絶えたセレナード』は、「曲を始めますよ」というのをいつまでもやっている。曲が始まったと思ったのに始まらない(弾く)。最後に歌がすがるように登場します。セレナードを奏でていたジェントルマンを前にご婦人が窓をバタッと閉める、セレナードが途切れてしまうような感じがあります。『音と香りは夕暮れの大気に漂う』には、詩作でいうパントゥーン(韻)があります。出発点の音が最後にもある。メビウスの輪のように繰り返されます。繰り返し繰り返し、元に戻るのです。これは、音と香りが空間に漂っていることにほかなりません。ホルン、ハープが最初のアイデアに戻る。次にホルンが変化し、決まりきったやり方をなくして、新しい連なりを生み出しているのです。『花火』にはさらに新しいアイデアがあります。あるテーマを提示して、再現して終わるというやり方を排しています。比較する対象としてはシェーンベルクくらいでしょう。

この前奏曲集をアンサンブル/全体として見た場合、滑らせていく、ずらして表現するのがうまいと思います。曲から曲へ。『霧』の最後でペトルーシュカのファンファーレが消えていくところなどですね(ソとファの平行和声)。『枯葉』の出だしがどうかというと、これはやはり平行する2つの和音。『ピックウィック卿をたたえて』から『カノープ』へつながるところも面白い。精緻なつながりです(弾く)。ディケンズの登場人物を嘲るような終わり方から、古代エジプトへの詩情の台頭。旋法的なつながり以外にもパラレルな、完璧な和声でつなぐ。嘲るような和音が『カノープ』の冒頭に似ています。『交代する3度』の終わり方も、3度がサスペンション、宙づりのまま終わります。『花火』の終わりもファ・ソ・ラの3度の中に収まる。全音階の3つの音です。『雪の上の足跡』のオスティナート的なモチーフが痛みを感じさせます。『ミンストレル』の3つの音を際立たせる、3つの音が一貫して見られます。

メロディ、ハーモニーを扱う繊細な手つき、センスがこの曲集を貫いています。24曲の並べ方、細かな感受性、和声などから、これがドビュッシーにとって壮大なプロジェクトだったことがわかります。12曲めと24曲めがファ・ソ・ラでつながっていること。また、第1巻と第2巻の7曲め、『西風が見たもの』と『月の降り注ぐテラス』が空間の広がりを感じさせるというのも共通点の一つです。第2巻は第1巻のやり方を再現しているだけ、つまり繰り返しではないかという批判もあります。しかし、意図的に対にしている曲がある。スペイン風の曲が対。色でのコントラストですね。ケークウォークのリズムも2曲。初めはアイロニック、2つめは控えめなユーモアを表現、パーソナルな表現、内面をさらすような表現です。

ドビュッシーはマスクを被ってする遊びを好んだ人です。自分の自画像をこの24曲で試みたとも言えるのではないでしょうか。何かを暗示するようなタイトル、問いかけのニュアンスもドビュッシーらしいと思うのです。各曲にそえられたタイトルも、譜面の最後に「...」付きで暗示された、とらえどころのないものです。『霧』ではブルイエ(ぼやかす)、左手でやっていることを右手でぼやかしています。『帆』はコルトーが解釈したように、船の帆を表しているとも言われますが、今はYouTubeなどインターネットですべて見られるのですね、踊り手のヴェールを表したとも言われます。『枯葉』とは一体どういう意味なのでしょう。単なる秋の情景なのでしょうか。日本語でも一葉の紙と言われるように、過去に作曲した失われた曲のことを表しているのかもしれません。ゲームのように隠して遊んでいる。おのれをさらけ出さない。多面的なものごとに興味を持ったドビュッシー自身の作品を解き明かす鍵は「神秘」なのです。

2012/11/25(Sun)
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中川賢一 現代音楽レクチャーコンサート

2012年6月2日(土)18:00
中川賢一(ピアノとお話)
現代音楽レクチャーコンサート〜現代音楽の迷宮へようこそ〜
サロン・テッセラ

(曲目)
メシアン:「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」よりXV. 幼子イエスの接吻
武満徹:雨の樹素描II -オリヴィエ・メシアンの追悼に-
ウェーベルン:子供のための小品
クルタ-ク:「遊び」より「バーリントエンドレを想って」
アンドリーセン:レジスター
ファーニホー:レンマ・アイコン・エピグラム
ウェーベルン:「子供のための小品」
ジョン・ケージ:「4分33秒」第1楽章
カーゲル:MM51
〜アンコール〜
ポール・マッカートニー:ゴールデンスランバー(武満徹編曲)


ゲンダイ音楽に不案内な聴衆に向けて、音楽史上の位置付けと意義を解説しながら主要作品のさわり・要所を実演で聴かせるという奇特な催し。主催は公益財団法人せたがや文化財団で、その音楽監督は池辺晋一郎氏との由。新ヴィーン楽派からメシアンのモード、セリー(トータルセリエリズム)、図形楽譜、偶然性、スペクトル楽派、ミニマル音楽などに至るまで、巧みな口上(もちろん演奏も)で時に笑いをとりながら聴き手を楽しませてくれる。オーディエンスに「きらきら星」を歌わせて、そこへ幼子イエス(メシアン)の和音をあてるというコーナーも。

演奏された曲の中ではカーゲルのMM51が笑撃的白眉。「以前私のために特別に作っていただいた」という小道具(床に置かれた木製の棒の一端にメトロノームが取り付けられ、もう一端にあるペダルを踏むとメトロノームが傾いて振り子が止まったり動いたりする)を伴い、ピアノを弾きつつマイクに「イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ〜」と声を吹き込むと深いエコーがかかる。舞台袖に座っていたスタッフらしい女性が必死に笑いをこらえていた。おそらくリハーサルのときにツボにハマってしまったのだろうか、どうにも珍妙で印象的な光景だった。

エロキューションと演奏技術の才、どちらが欠けても実現・成立の難しそうな企画である。「余人をもって代え難い」とはこういう人のことをいう。いずれまた別の機会にきちんとした(?)演奏会にお邪魔したいものです。

関連映像:
Mauricio Kagel's MM51 + Nosferatu

2012/06/02(Sat)
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ゲオルグ・クリストフ・ビラー;聖トーマス教会合唱団&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

2012年3月1日(木)18:30
ゲオルグ・クリストフ・ビラー;聖トーマス教会合唱団&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(ソプラノ)ウーテ・ゼルビッヒ
(アルト)シュテファン・カーレ
(テノール/福音史家)マルティン・ペッツォルト
(テノール)クリストフ・ゲンツ
(バス)マティアス・ヴァイヒェルト
(バス)ゴットホルト・シュヴァルツ
(合唱)聖トーマス教会合唱団
(指揮/トーマス・カントール)ゲオルグ・クリストフ・ビラー
(管弦楽)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244
サントリーホール

【感想Tweet】
ビラー;聖トーマス教会合唱団、ゲヴァントハウス管ほか、バッハ:マタイ受難曲。第1曲開始後間もなく、イエス役のヴァイヒェルトが手を延ばしてヴァイオリン第1プルトの譜面をめくった。ソロ歌手が楽器奏者の譜めくりをする、そのさまがあまりに自然で、舞台に乗る方々の信頼関係に涙腺決壊寸前。

受難コラール5回は谷・山・谷・山・谷。ひとつの歌の中にも強弱の起伏あり。構想はよく練られ、少年たちは鍛えられている。ビラーは合唱指揮者なのであるな。ペトロ否認の場面では隣りの客が鶏のような鼾。小突いてやった。直後のアリアを聴き逃す手はないわけだし、善いことをしたと思う。

テノールが体調不良キャンセルで福音書記者ペッツォルトが兼務。物語の流れを損ね、これは痛かった。歌唱自体もなんだか辛そうだった。

2012/03/01(Thu)
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大井浩明 シュトックハウゼン歿後5周年・初期クラヴィア曲集成

2012年1月29日(日)18:00
大井浩明 シュトックハウゼン歿後5周年・初期クラヴィア曲集成
(ピアノ)大井浩明
K. シュトックハウゼン:
クラヴィア曲第I〜IV番(1952)
クラヴィア曲第V〜VIII番(1954)
クラヴィア曲第IX番・第X番(1954〜1961)
クラヴィア曲第XI番(1956)
Hakuju Hall

【感想Tweet】
大井浩明、シュトックハウゼン。ピアノ曲IXとXがよかったなあ。IXは2009年にエマールのリサイタルで聴いたこと、忘れていた。今日のはあれよりテンポが緩めで叙情的だったかな。手を傷めないように手袋を着けた演奏(X)はモーゼとアロンでも拝見したことが。横綱相撲に恐れ入りました。

2012/01/29(Sun)
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2011年度武満徹作曲賞本選演奏会

2012年1月20日(金)18:00
〈コンポージアム2011〉2011年度武満徹作曲賞本選演奏会(2011年5月29日より延期された)
(審査員)サルヴァトーレ・シャリーノ
(指揮)山田和樹
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
[ファイナリスト(エントリー順)]
・ヤン・エリク・ミカルセン(ノルウェー):Parts II
・フローラン・モッチ=エティエンヌ(フランス):Flux et reflux
・ヒーラ・キム(韓国):NAMOK
・ベルント・リヒャルト・ドイチュ(オーストリア):subliminal
東京オペラシティコンサートホール

2012/01/20(Fri)
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サルヴァトーレ・シャリーノの音楽

2012年1月17日(火)19:00
〈コンポージアム2011〉サルヴァトーレ・シャリーノの音楽
(指揮)マルコ・アンジュス(1-4)
(フルート)マリオ・カローリ(2)
(カウンターテナー)彌勒忠史(4)
(パーカッション)安江佐和子(4)
(フルート四重奏)斎藤和志/大久保彩子/多久潤一朗/木ノ脇道元(4)
(サクソフォン四重奏)平野公崇/大石将紀/西本淳/田中拓也(4)
(フルート&サクソフォン)洗足学園音楽大学フルートオーケストラ&サクソフォンオーケストラ(4)
(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団(1-3)

1. シャリーノ:オーケストラのための《子守歌》(1967)
2. シャリーノ:フルートとオーケストラのための《声による夜の書》(2009)
3. シャリーノ:電話の考古学-13楽器のためのコンチェルタンテ(2005)
4. シャリーノ:海の音調への練習曲-カウンターテナー、フルート四重奏、サクソフォン四重奏、パーカッション、100本のフルート、100本のサクソフォンによる(2000)
東京オペラシティコンサートホール


【感想Tweet】
シャリーノ。1から4の各曲、イビキとシワブキ、ランキとネイキ、アクビとヘヒリ、ウワゴトとカタコト、とでも書き取っておけば音楽の印象を記憶しておけそう。特殊奏法ショウケースの終曲は中でもサックス100本とフルート100本の一斉キークラップが笑撃。ラジオが録音していたようなので。

本日の裏番組、都響の現代音楽プログラムを聴けなかったのは残念。シャリーノの今公演も元は高関健さん指揮の予定だったから、震災で延期されても日程が1日でもずれていたら両方こなされたのか知らん?

2012/01/17(Tue)
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エリアフ・インバル;東京都交響楽団

2010年3月30日(火)19:00
東京都交響楽団
第695回定期演奏会 Bシリーズ
指揮:エリアフ・インバル
メゾ・ソプラノ:イリス・フェルミリオン
女声合唱:晋友会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団
ソロコンサートマスター:四方恭子
サントリーホール(2階C5列23番)

マーラー:交響曲第3番 ニ短調(30'28/9'25/16'25/9'23/3'58/21'23)


暫定的にTwitterのつぶやきまとめ

過去ログ
2009-11-19 - エリアフ・インバル;東京都交響楽団、半田美和子
2009-03-29 - エリアフ・インバル@渋谷タワーレコード
2008-04-28 - インバル;都響 マーラー:交響曲第8番@東京文化会館

2010/03/30(Tue)
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セミョーン・ビシュコフ;NHK交響楽団

2010年2月12日(金)19:00
NHK交響楽団
第1668回定期公演(Cプログラム1日目)
指揮:セミョーン・ビシュコフ
コンサートマスター:堀正文
NHKホール(2階L10列18番)

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」(10'41/6'51)
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調(12'29/14'43/16'54/8'10/15'21)

2010/02/12(Fri)
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