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大友直人;東京交響楽団 ベートーヴェン:交響曲第9番 ほか

J. S. バッハ:カンタータ第12番「泣き、嘆き、憂い、おののき」BWV12より“シンフォニア”*
マルチェッロ:オーボエ協奏曲ハ短調*
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付き」
指揮 大友直人
オーボエ 若尾圭介*
ソプラノ 森麻季
メゾソプラノ 手嶋眞佐子
テノール 佐野成宏
バリトン 堀内康雄
合唱指揮 大谷研二
合唱 東響コーラス
管弦楽 東京交響楽団
ミューザ川崎シンフォニーホール

年末に「第九」を聴きに行くのは悪くないアイデアと思ったのだ。どの演奏にといって手がかりがないものだから、ソプラノの森麻季が出るという川崎での今日のにした。

手元のメモを逐一書き起こしても詮ない。オーケストラのことは書けばいろいろ。良い局面もあったが、総じてパッションが足りなかった。ミスも多かった(第1楽章の終わりの不揃いと、第3楽章のホルンの濁り)。第2楽章、わくわくさせてくれ、どこかへ連れて行ってくれるものと思っていた、のに(暮れの「お仕事」なのかなあ)。

素晴らしかったのはコーラス(200人超?)。4人の独唱陣。森の声は抜きん出ていた。しかし賛辞は合唱団に捧げられるべきである。ぞくっとする瞬間は何度もあった。観客には落ち度があった。「天使ケルビムは神の御前に立つ」の後で拍手が起こった。第4楽章、合唱団が立ち、ソロ歌手たちが立った時には、ゾワゾワっと来るものがあった。歓喜の調べのハチロクは弦にもっと推進力があってもよかった。終演後、200人の顔を見ながら拍手を送ってみた。届いていたか知らないが。川崎という町(街)は変わっていた。西口の東芝は影も形もなかった。

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2007/12/16(Sun)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


井上道義;新日本フィルハーモニー交響楽団  ショスタコーヴィチ:交響曲第8番、第15番

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 Op. 65
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 イ長調 Op. 141
指揮 井上道義
管弦楽 新日本フィルハーモニー交響楽団
ゲスト 女優、UNICEF親善大使 黒柳徹子
日比谷公会堂

第8番。昨日予習のためにCDを聴いており、この長大な曲をどうやって理解したらよいものか途方に暮れていたところ、1人のお爺さんが現れて助言をしてくれた。第1楽章には1つのリズムの軸が通っている。第2楽章はグロテスク、第3楽章は避けられない圧力、第4楽章はパッサカリア。フィナーレは2・3・4楽章を挟む、第1楽章の再現部である(●)。よし、これで整理された。

井上さんと新日本フィルの演奏は、生々しく露骨な性描写のようだった。第1楽章、本チクルスで最強だったかもしれない、ものすごい全奏。それに続くイングリッシュ・ホルン(女性プレーヤー)のレチタティーヴォ。弦のトレモロは“果てた後”の痙攣を思わせる。湿った褥で長いモノローグ。幸せでなかった半生について訥々と延々と。問わず語りの様子は「夏の闇」の女のよう。ここがこの曲のハイライトだった。お爺さんの言う通り、「1つの軸」を意識しながら聴くと、時間が伸びたり縮んだりするように思えて楽しく、25分以上ある長い楽章が短く聞こえた。

第3楽章でリズムの乱れが目立ったが、瑕にはならない。ここはおくとして、先週の名古屋フィルハーモニーと比べてオーケストラの演奏能力がやはり段違いに高い。手に汗が浮く。第4楽章のパッサカリア、低音弦が心地よい。合奏だと鋭く響いたホルンの音が、ソロだと湿って生暖かい。フルートがガラガラうがいをするような奏し方をすると、クラリネットのソロ。この奏者も女性。転調して第5楽章に入り、今度はファゴット。これも女性だ。イングリッシュホルン、クラリネット、ファゴットという楽器の形と、それらを女性が演奏することのシンボリックな意味は書くまでもない。フィナーレの2度目のトゥッティは、第1楽章よりは弱めで、8割5分くらいの音量。これも意味深長な。

休憩後のトーク。プロジェクト実行委員長の黒柳徹子さんが舞台に上がって、井上さんと楽しいトーク。昔話をとせがまれて、70年くらい前にベートーヴェンの第9が年末の恒例になった理由(合唱のボランティア学生が親戚を呼ぶので券が捌けて楽団は餅代が稼げる)や、新響(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/NHK交響楽団)のコンサートマスターだったお父さんと合唱団の一員だったお母さんとの馴れ初めについて。「だから日比谷公会堂とベートーヴェンの第9がなければ、私はこの世にいなかったんですのよ」。今回の演奏会の録音をCDにすることについて繰り返していたのは、実行委員長としての責任感と、井上さんへの気遣いなのかな。トークを終えて並びの席に上がって来られたのは驚いた。

第15番。第1楽章が楽しい。3・4・5連符がごにょごにょ絡むのを打楽器がぶった切って進む。おしゃべりなフルートとオーボエたちが黒柳さんとダブっておかしい。第2楽章のチェロのソロはたいそう美しい。トロンボーンのぶっといソロ。これも女性奏者だ。第3楽章、コンサートマスターのソロに合わせて(変拍子をものとせず)踊る指揮者。第4楽章。低音弦のピチカートは第7番の戦争のテーマだろうか。全奏で井上さんがオーケストラを掻き回す。ロックバンドのような。

通し券を買った観客の中から抽選で50名に、ロビーに飾られていたリハーサルの模様の写真(井上さんのサイン入り)をプレゼントするという。番号が貼り出されるなんて大学受験の発表以来でドキドキしたが、めでたく当たった。なんだか地味な写真だが(右)。井上さんに直接感謝の言葉を伝えることができ、よかった。

ショスタコーヴィチの聴き方、ひいては音楽の聴き方、いろんなことを教えてもらいました。ありがとう。7月のプレイベントから足掛け5カ月、お疲れさまでした。CD化が本当に楽しみだ。


●お爺さんの助言
ショスタコーヴィチの交響曲第5番、第6番、第8番。これら3つはすべて弦楽器で描写される力強いテーゼから始まっています。とても力強く、非常に断固としていてそして奇妙なことに、問いかけにも、証明済みの命題にも聞こえます。そしてそこから物語の広い空間の前に立つ壁みたいなものです。序奏後、音楽が始まるのですが、それは、ぼんやりとしていてもの静かで、きめ細やかな感じです。聴く者に、非常に繊細な印象を与えます。そして交響曲第8番の第1楽章は、要するに、この、ぼんやりとした繊細な素材が長い時間をかけて大きく、強くなっていき、悲劇的なクライマックスに到達します。まさに“人間が何かに向けて生死の境目で出す強さ”と言うことができるでしょう。

(第1楽章は、ずっとテンポが同じだという感じで…)
それはですね、具体的に作品をどう意識するかの問題です。作品の意識の仕方です。昨日もこの曲を演奏しました。確か34回目だったと思います。それで分かったことは、この曲(楽章)には最後まで1つのリズムが残っていることです。しかし、いずれにしてもこれらはすべて種類が異なり、様々なリズム、様々なテンポで進むという印象を与えます。でも実際は、同じテンポの1つの軸を通っているのだということを、私は今回ようやく理解しました。実際、そうなっているし、これこそがショスタコーヴィチの神業なのです。とても静かに始まり、クライマックスで終わる。すべて同じ脈拍の1つの軸に通すことができるのです。これは神業です。このような原則に基づいている他の作品といっても、名前を挙げるのは難しいですね。これが第1楽章についてです。

おもしろいのは、この交響曲のフィナーレです。ファゴットのソロで静かに始まり、それからやはり大きく強くなっていく。そこには対照的な素材が現れるのですが、何だか破壊的にも感じることも出来ます。しかし、この曲はそうはならずに、非常に静かに、穏やかに、そして明るく溶けるように終わります。これが彼の音楽の中でパストラルと呼ぶことのできる、数少ない作品の1つだというのは興味深いことです。第5楽章が始まると田園風の世界に入り込みます。その後、高まっていき、葛藤があり、それから全く関係のないリズムが侵入してきます。すべてが発達し、衝突し、同化します。お話ししたことの繰り返しになりますが、また、すべてが再び降りてきます。しかし第1楽章冒頭のような死んだような音のない冷たいところではなく、明るく暖かい、高められたところに降りてくるのです。それは上昇しながら消えていきます。地獄ではなく天国の方へね。これがフィナーレについてです。

第2楽章、第3楽章、第4楽章は、私にとっては中間部のトリオのようなものです。両端の楽章が主部・再現部に相当します。第2楽章は、言葉で特徴を述べるのは難しいのですが、そこにはグロテスクなもの、激しくて厳格なものがあります。この楽章はいわゆる二義的な意味を持っているのです。その先の第3楽章と第4楽章ですが、これは重要で、複雑なところです。これらも第2楽章と共に真ん中の部分に入っていますが、独立したものとも考えられます。トッカータと呼ばれる第3楽章は、“避けられない運命の世界”、私なら、そう呼びます。恐ろしい襲撃と、圧力がある。その存在は決して避けられない。そしてクライマックスから第4楽章へ流れ込んでいく。これは彼が好んで使う手法です。第4楽章は、まさに神業です。アサフィエフがこの交響曲について論文で書いていますが、ここはまさしく本物の奇跡です。この第4章のシンボルは“人間の心の深遠な神秘さ”。人間の心の神秘的な奥底を描いています。この楽章はかなり長いのですが、とても短く感じられます。なぜなら、聴く人が自分を見失うほど、その人をすっぽりと包んでしまうからです。この曲を初めて彼の家のピアノで聴いた時、私は、これがすべて自分の中で生まれ出て、神秘的な静けさと平穏さを感じたのを憶えています。どのような平穏さだったかと言うと…、解き放たれたような平穏さです。過去や未来への恐怖から逃げる場所。すべての脅威から救済されたような感じです。構成面ですばらしいのは、このゆっくりとした第4楽章が室内楽的作品であるという点です。これは驚くべきことです。この巨大な作品が、オーケストラの音楽的な表現で、あらゆる方法を使い結集されているわけです。この巨大な作品の一部でありながら、仮に106人という人数のためのすばらしい室内楽になっているのです。100人のための繊細な室内楽作品です。形式としてはパッサカリアで――パッサカリアとは低音に同じリズムを繰り返すバスがあり、そして、その土台の上には1つのものから別のものへと移るエピソードや体験、出来事などが目立たないように流れています。これがこの交響曲について、私が語ることのできるすべてです。
(社会主義労働英雄 レーニン賞受賞 ソ連邦人民芸術家 エフゲニー・ムラヴィンスキー)

2007/12/09(Sun)
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井上道義;名古屋フィルハーモニー交響楽団  ショスタコーヴィチ:交響曲第11番、第12番

ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調 Op. 103
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 Op. 112
指揮 井上道義
管弦楽 名古屋フィルハーモニー交響楽団
ゲスト 映画監督 篠田正浩
日比谷公会堂

チクルス7日目。今日は初めて平日の公演で、調子が狂って思わぬ大失敗もしたが、演奏は大熱演でとても感動した。2曲はいずれも題材がロシア革命。12番の音名象徴には「スターリン告発」のメッセージが込められているという、プログラムノートのダヴィンチコードばりの指摘もあり。また後日加筆。

2007/12/05(Wed)
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井上道義;東京フィルハーモニー交響楽団  ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

ショスタコーヴィチ:交響曲第4番 ハ短調 Op. 43
指揮 井上道義
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
ゲスト ロックンローラー 内田裕也
日比谷公会堂

チクルス6日目。2週間ぶりの日比谷公会堂。公園の樹々が黄色く色づき、すっかり日が短くなった。冬の深まりを実感する。

前回に続き、階下5列目の定席を捨てて2階に上がって行くと、最後列中央の“特等席”は大きなテレビカメラに占領されていた。NHKで来年2月10日に放映予定とのこと。うちはBSが入らないので地上波だといいのだが。仕方なく中央からやや右寄りの席を確保してステージを見下ろすと、楽員たちが開演時間ぎりぎりまで曲をさらっている。ピッコロがやけに熱心に、コントラバスは10人揃って、観客の面前で。リハーサルが足りていないのだろうか?(あとで思い当たったのだが、楽屋が狭くてステージ以外にそうする場所がないのかな。)

演奏が始まってみれば心配は吹き飛んだ。衝撃的な導入部に鳥肌が立つ。ここを聴くたびにラロ・シフリン作曲「スパイ大作戦のテーマ」(1966年)を思い出すのだが、交響曲のアメリカ初演が1963年であったというから、何らかのエコーがあったのかもしれない。

見事な大休止。一瞬、無重力になったかのよう。オーケストラは完全に指揮者の意図通りに機能していたようで、練習不足を邪推したりして申し訳なく思う。プレストに入りフガートの弦楽器群のものすごさ。コンサートマスターが上半身を前後に振りながら演奏するさまに気合いを感じる。乗り遅れるな!踏み外すな!と。この部分、残響の多いホールだったらどのように聞こえただろう。フガート後の強奏は天井が落ちるようなインパクトだった。イングリッシュ・ホルン、ヴァイオリン、ファゴットの素晴らしいソロ(ファゴットは大活躍で、楽員たちから一番大きな賞賛の足踏みを得ていた)。

第2楽章、エンディングの打楽器アンサンブルは乾いていてよかった。もっと乾いていてもよかった。第3楽章、マーラーの葬送行進曲のムードに浸り、軽やかな展開部を経て、不協和音が爆発する強奏を待つ。凄まじい。この部分を「地球が軌道から外れたような衝撃」とたとえる評論家がいるが、実演で聴いて激しく同意。

軌道を外れ、寄る辺ない空間に浮遊して去るようなコーダ。チェレスタの音、トランペットの呻き。そこへまるで災厄のような、心ない観客の早すぎる拍手。ただこの地点に向けて60分にわたる旅をしてきた演奏者と観客のかけがえのない興趣を、それは一瞬にして暴力的に打ち砕いてしまった。井上さんは、この全曲演奏会を録音して発売することも仄めかしていた。今日はNHKのカメラも入っていた。CDや番組として成立させるために、あの拍手を除去することは可能なのだろうか。可能であれば、暴挙を「なかったこと」にして、もう一度最後を聴いてみたい。

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「ショスタコーヴィチ29歳の時の作品。この4番は、5番とはまったく違う音楽だと思う。かたちがよく見えないのに聴き手を引っぱっていく力が音楽にあり、そういう意味でちょっとジャズっぽい感じ」(井上さんのコメント)

2007/12/01(Sat)
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