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フルトヴェングラーから何を聴くか@名曲喫茶ヴィオロン(阿佐ヶ谷)

LPレコード・コンサート
フルトヴェングラーから何を聴くか
第5回:ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」
お話:野口剛夫(東京フルトヴェングラー研究会代表 昭和音楽大学講師)
名曲喫茶ヴィオロン

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 変イ長調 作品73「皇帝」
エドウィン・フィッシャー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー;フィルハーモニア管弦楽団
●ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー;ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

ドイツの名指揮者、フルトヴェングラーの遺した文章と演奏を手がかりに、現代社会の問題を論じてみようという試み(あってるか?)。学んだこと3つ。

1) ベートーヴェン3番のききかた。
2) うちのスピーカー(長岡鉄男バックロードホン)は低音が足りないこと。悲しいかな。
3) 音楽学者は音楽以外のことを語らないほうがいい。

1) 2小節の序奏を経て、E♭-G-E♭-B♭-E♭-G-B♭-E♭-D-C#の、C#。サーカスが始まって最初の綱渡りでぐらついたようなC#。なるほど。394小節、属7の和音に対して主和音(ホルン)の混入、先取りがあるとか。当時演奏をきいたベートーヴェンの弟子はその不協和な響きにホルン奏者が間違って早めに出てしまったと考えたとか。第2楽章のフガートのソシレにドがぶつかるとか。

1930年、トスカニーニとニューヨーク・フィルハーモニックがベルリン音楽週間に来演し、それをきいたフルトヴェングラーは、トスカニーニが第1楽章第2主題、82小節から急にテンポを落としたのが気にくわなかったらしい。99~101小節は第2主題の重要なフレーズなのに、経過句として流してしまったと。このへん、事後に手持ちの各種録音を聴き比べてみたのだが、正直なところよくわからない。トスカニーニのベートーヴェン3を買わないと。

話し手は、フルトヴェングラーの言葉を引いて、「人は芸術作品に没頭しなければならない。没頭するとは愛することに他ならない。愛とは品定めや比べたりすることのまさしく対極にある行為であり、比較を絶したかけがえのない本質を見抜く」といった。「比較するな、没頭せよ、愛せよ」。なるほど、そうかもしらん。ところがその直後、前述の第1楽章を「比較」するべくトスカニーニの演奏を持ち込みのシリコンオーディオできかせてみせた。これには笑った。もしかするとネタだったのか。

2) きき疲れしないオーディオシステム。アナログレコードはなんていい音がするのだろう。

3) 今日のテーマの「英雄」。「フルトヴェングラー自身の英雄観」という話から派生して、彼が憂いた「民族意識の後退」やらにも話が及んで。しかしこのへん、フルトヴェングラーの生きた時代状況(ナチスドイツ)を思うと、かなり微妙でセンシティヴな問題なのではないだろうか? むしろその方面の話をききたかった。英雄としてイエス・キリストを例にとり、十字架にはりつけになる場面を今だったらテレビが取材に来るだろうとか、イラン・イラク戦争がテレビゲームのようだとか、たとえが現実離れ・周回遅れで説得力がない。こういう話をするのであれば相当準備してからでないと。音楽学者は音楽の分析だけしていればよいといわれてしまうよ。

帰り、地元のブックファーストで気になっていた本(「指揮棒は魔法の杖? マエストロが語る「指揮棒」考」)を手に取った。翻訳者の名前をみると、なんと偶然、今日の講師の方。おひねりがわりに買った。同書冒頭に出てくるベルナルト・ハイティンクは来年1月、シカゴ響を連れて来日。みなとみらいホールの券がとれた。映像でみるかぎり、さすがに厳しい棒振りをする人。どんな演奏なのか楽しみ。

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2008/07/27(Sun)
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DSQ@名曲喫茶ヴィオロン(阿佐ヶ谷)

2008年7月19日(土)19:00
DSQ
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番 ハ長調 K. 465 「不協和音」
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第2番 イ長調 作品68
~アンコール
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏のための2つの小品から 第2曲 ポルカ
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第1番 第4楽章

ドミートリイ・ショスタコーヴィチの作品を演奏するDSQというアマチュア四重奏団。大作曲家のイニシャル、DSを冠する大胆なネーミング。2000年から四重奏曲を演奏しはじめて、2006年に全15曲を完了。二周りめの最初が今日の阿佐ヶ谷とのこと。

それにしても、なんだってプログラムがモーツァルトの四重奏曲との組み合わせなのだろう。行きがけに渋谷YAMAHAで赤い表紙のK. 465のスコアを買い、演奏が終わった帰りに中央線で音符をみながら曲をきいていて、ようやく中野を過ぎたあたりで理由がわかった。

ショスタコーヴィチが弦楽四重奏曲第8番や交響曲第10番などに盛り込んだイニシャル音型(DSCH=DE♭CB)が、モーツァルトのK. 465の序奏に出てくるからなのだな。その後に続く軽快なハイドン風アレグロに先立って、まるで取ってつけたかのような22小節のクロマチックなアダージョ(開演時間に遅れて、不協和音いっぱいのその部分をききのがした。残念)。それはたしかにいかにもショスタコーヴィチを連想させるし、第4楽章の同音反復の音列(125小節からのEEEA、DDDG)は、ショスタコーヴィチが書いたといったってよさそうなものだ。

モーツァルトに盗作疑惑?
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2006/04/post_ff96.html

そういうことについて演奏者は当然として、会場にいたたくさんのお友達もとっくにご承知だったのだろう。一見の客の私は、クイズに最後まで正解できないおバカなタレントのようで恥ずかしい。ショスタコーヴィチから遡ってクラシック音楽をききはじめ、まだモーツァルトに到達していない者の地金が出る。まあ、他人や検索に教えられるのでなしに自力で発見できてよかったが。

1曲めのモーツァルトを終え、4人がみな黒いシャツを脱ぐとユニクロ+ECM2007年コラボの赤いショスタコTシャツを着ていた(ネタ元はキース・ジャレットの「24の前奏曲とフーガ」)。2シーズンめのせいか4人ともそれなりに着倒していて、洗濯よれした感じなのが微笑ましい。今後もステージ衣装にするなら新品の予備がないとね。まだ手に入るのかな?

アンコールのポルカは四重奏では初めてきく。諧謔にみちみちて、なんとも楽しい音楽。チャップリンのサイレント映画に当ててもよさそう。じっさいショスタコーヴィチは劇伴や映画音楽の仕事を多くやった人。もう一度ききたくて、帰りにタワレコでフィッツウィリアムスSQの録音が入ったDECCAの箱ものを買った。最後の弦楽四重奏曲第1番第4楽章は踊りだしたくなるよう。去年の日比谷での井上さんの指揮姿を思い出した。これでプログラムの輪が閉じて終了。演奏のクオリティについては書くのを控える。アマチュア楽団の演奏でそういうことを云々しても仕方ない。それより、いろいろ教えてくれてありがとう。ショスタコーヴィチの音楽に連れ戻してくれてありがとう。8月の公演ではバルトークの3番にも挑戦するとのこと。ぜひ出かけてみよう。

DSQ
http://homepage2.nifty.com/dsch/index2.htm

2008/07/19(Sat)
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ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル@東京オペラシティ

2008年7月15日(火)19:00
ピエール=ロラン・エマール(ピアノ)
東京オペラシティコンサートホール

● J. S. バッハ:フーガの技法 BWV1080から コントラプンクトゥスI
● 同 3度音程でも転回可能な10度のカノン
●カーター:2つのダイヴァージョン
●J. S. バッハ:フーガの技法 BWV1080から 5度音程でも転回可能な12度のカノン
● 同 反進行における拡大カノン
●メシアン:「8つの前奏曲」から 第2曲 悲しい風景の中の恍惚の歌
● 同 第5曲 夢の中の触れ得ない音
● 同 第8曲 風の中の反射音
(休憩)
●J. S. バッハ:フーガの技法 BWV1080から 10度音程でも転回可能なコントラプンクトゥスX
● 同 転回可能なコントラプンクトゥスXII.1
● 同 コントラプンクトゥスXI
● 同 転回可能なコントラプンクトゥスXII.2
● 同 12度音程でも転回可能なコントラプンクトゥスIX
●ベートーヴェン:ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110

(アンコール)
●カーター:カテネール(日本初演)
●メシアン:「8つの前奏曲」から 第1曲 鳩
●メシアン:「4つのリズムの練習曲」から 火の島第1
●同 第2
●カーター:マトリビュート
●メシアン:静かな訴え


昨年6月、今日と同じオペラシティ、ギドン・クレーメルとクレメラータバルティカから始まったクラシック演奏会通いも、ようやく1年が過ぎたところ。

マーラー(10、9、6、1、8、2、5、大地の歌、歌曲)、ワーグナー(トリスタン)、ショスタコーヴィチ(交響曲全曲)、シューベルト(5、6)、ブラームス(交響曲全曲)、その他、とりとめないようでいてそれなりに筋の通ったプログラム選びをしてきたつもりだけれど、エマールのピアノリサイタルはまったく文脈の外。先月6日に偶然テレビでみた「バッハ:フーガの技法 全曲」(2月17日 ロンドン ウィグモアホール)でのエマールの演奏に打たれて、今日の来日公演のチケットをとった。以来、渋谷道玄坂のYAMAHAで「技法」のスコア2種(1冊めのオイレンブルクのはどうやら彼の採用した版と違った)、CDは「技法」全曲、メシアン、ラヴェル、カーター、ベートーヴェン(アーノンクール指揮のピアノコンチェルト)の録音を買い求め、急いで予習。

券をぎりぎりにとったのに前から2列目、向かって左側。音がダイレクトに耳に届くだけでなく、ピアニストの指さばきからペダリングまでつぶさにうかがえる好位置。これは収穫だった。手元のメモを細かく起こすと時間かかりそうなので簡単に。

バッハ(1685-1750)、ベートーヴェン(1770-1827)、メシアン(1908-1992)、カーター(1908-)という、300年以上の幅のある作曲家4人の作品を集め、なお統一感と説得力のあるプログラムを組んだセンス、その必然性を演奏で示す力量に感服する。バッハの「技法」の抜粋は曲順もシャッフルされてプログラムの生地の中に練り込まれていた。メシアンの前奏曲第8曲をききおえたとき(前半最後)、音楽に向かうエマールの基本的な態度が理解できた。作品への奉仕、聴衆への奉仕、なのだな。ふとキース・ジャレットのことが頭に浮かんだ。自分への奉仕ばかりで、それ以外毛頭にない(“アドリブ”だから作品への奉仕もなければ、聴衆には「演奏中は咳するな」)。帰宅してジャレットの盤(カーネギーホール)をあらためて取り出してみたが、エマールのあとではなんと浅く貧しくきこえたことか。

それはさておき(あと、つづく

2008/07/15(Tue)
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河野、沼尻;N響 マーラーの世界@サントリーホール

2008年7月6日(日)15:00 サントリーホール
マーラーの世界
新・歌物語Vol. 10
河野克典(バリトン)
指揮 沼尻竜典
NHK交響楽団
主催・制作 南谷行宏/ジャパン・アーツ

「子供の不思議な角笛」より
死んだ鼓手
ラインの伝説
高き知性への讃歌

「交響曲第5番 嬰ハ短調」より
第4楽章 アダージェット

「さすらう若人の歌」
愛しい人の結婚式の日に
今朝 野原をあるいて
灼熱のナイフを僕は持っている
彼女のふたつの青い瞳が

「大地の歌」より
告別

~アンコール
「リュッケルトの詩による五つの歌」より
第3曲 わたしはこの世に見捨てられ
(または「最後の七つの歌」第5曲)

昨日と今日とで、サントリーホールのマーラーの週末が終了。昨日の演奏会もすばらしかったが、今日のはいろいろな意味で収穫というか、思い出すものというか、もろもろ心にせまるものがあった。

まずマーラーの「歌曲」に親しむことができたこと。ひょっとしたら交響曲の作曲家であるより前に歌曲の作曲家であるのに、マーラーをきくとき、そのことをどこかに置き忘れてしまう。それではいけません大事なことを見落としますよと、歌手はやさしく、控えめに教えてくれたような気がする。プログラムに「僕にとっての夢物語、それはマーラーの世界だったのかもしれません」と歌手は書いている。自身が訳出した歌詞大意ものせている。そういう人がいて、これだけの演奏をきかせてくれる以上、きき手としてもこれは勉強しないといけない。「大地の歌」の「告別」、アンコールの「わたしはこの世に見捨てられ」の美しさ。

歌曲のあいだに挟まれた第5番のアダージェット。マーラーに親しむきっかけが(隠れもしない)ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で、この楽章には格別な思い入れがある。ヴェネツィアのリド島を訪ねた帰り、船着き場のニューススタンドにダイアナ妃の死を速報する新聞がささっていた。だからあれは1997年9月1日。遅く遅く演奏されるアダージェットをききながら、ヴェネツィアの海、街、映画でみたあれこれがないまぜになって、どこからが自分の記憶でどこまでが映画の記憶か判然としなくなる。タッジオを真似、アドリア海を臨んで撮った写真はもう私の手元にない。撮り主の手元にも残っているのかどうか。

「歌曲とは心の歌にほかならない」と、吉田秀和さんが『永遠の故郷 夜』で書いている。今後マーラーの歌曲を取りあげてくれないだろうか。自著はそのライナー・ノーツのようなものだと吉田さんが褒めあげた盤が、ジュネーブから航空便でうちに向かっているはず。通販サイトがフランス語で、注文するのに少し骨が折れた。シューマンとヴォルフの歌曲集。早く届くとよい。

明日7月7日は、マーラーの誕生日(1860年生まれ)。こうしたプログラムを組んだ昨日と今日の関係者の皆さんに、感謝。

2008/07/06(Sun)
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金聖響;東響 マーラー:交響曲第2番ほか@サントリーホール

2008年7月5日(土)18:00 サントリーホール
東京交響楽団
第558回定期演奏会
シューベルト:糸を紡ぐグレートヒェン 作品2 D. 118(S)(レーガー編)
シューベルト:アヴェ・マリア 作品52-6 D. 839(S)(ラック編)
シューベルト:魔王 作品1 D. 328(Ms)(ベルリオーズ編)
マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」(2006年新校訂版)

指揮 金聖響
ソプラノ 澤畑恵美
メゾソプラノ 竹本節子
合唱 東響コーラス
合唱指揮 宇野徹哉
コンサートマスター 大谷康子

3月に同じ指揮者が東フィルを振ったマーラーがよかったので今日のチケットを取った。あとでエグベルト・ジスモンチの追加公演と同じ日だとわかった。指揮者の(舞台裏の)悪評を重ねてきいていたし、ジスモンチの公演は去年も見逃したしで、いっそ第一生命ホールへ行ってしまおうか迷ったが、結果的にサントリーホールで正解。

1時間半もの長い曲をきかせて飽きさせない指揮者とオーケストラはたいした腕前と思う。マーラーは長いとか第2番は弱い楽曲だとか書いている大昔の本(アドルノ)を読んでおり、じっさい何度きいてもとりとめのない曲と思わないでもなく、どのあたりかで眠りこけるだろうと危ぶんでいた。しかし、今日の演奏は長さも弱さも感じず、刺激的で居眠りするどころではなかった。リファレンスとしてきいていたメータ;ウィーンフィル(SHM-CDで音が人工的=デッカサウンドというの?)よりよかったのではないかしら。いや、実演を本の記述や録音と比べるのがそもそも栓ないが。

特筆すべきは弦5部の美しさとダイナミック。表面はサクサク乾いているが中はねっとりしっとり濃厚という、今日の演奏の根本のところを担う熱演。あと、打楽器。シンメトリーな全5楽章の真ん中、第3楽章冒頭のティンパニの強打は一般に曲全体の成否の分かれ目と思われるが、ほとんどアタッカでやった今日のそれは著しい成功。さらに、E♭クラリネットのmit Humor(ユーモアをもって)が抑揚あってよし。ファソラードー…の「香りの主題」(とは私の命名*)はゆらゆら揺れる弦の波にのって気持ちよい。

前後するが、第1楽章を終えて「5分は休め」の楽譜の指示は守られず(しかし金は意図を汲んで2分くらい休んだ)。第5楽章。練習番号29からのアドルノのいう「フルート、ピッコロは死を告げる鳥」は、まったくそのようなものにきこえない。P席のコーラス陣が立ち、ステージ裏でやっていた金管陣(ナイス!)が入ってきて、トランペット総勢10人、ホルン11人。終楽章の鳥肌感は第8番にやっぱり似ているな。

シューベルトの歌曲とソリストについては、またあとで。

* この曲を勉強していて、映画「セント・オブ・ウーマン(夢の香り)」とマーラー第2番の関わりが深いことに気づいた。映画のメインタイトルと、第3楽章の旋律が酷似している。「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」「復活」というプロットも似ている。

Mahler2

2008年4月28日
インバル;都響 マーラー:交響曲第8番
2008年3月22日
金;東フィル マーラー:交響曲第1番

2008/07/05(Sat)
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