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大植英次;ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー@サントリーホール

20090628.jpg

2009年6月28日(日)15:00
ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー
指揮:大植英次
サントリーホール(2階C12列21番)

マーラー:交響曲第9番 ニ長調


第1楽章、15小節のヴァイオリンのラ-ファ#。息が止まりそうなくらいにゆっくりやる。ああ、い~い滑り出し。進んでいくと、ホルン、トランペット、フルート、ティンパニ、トロンボーン、どのパートも手堅く、反応がすばらしく、全体のバランスがよい。丁寧で、地に足がついて、呼吸が深く、コクがある。この楽章にはとても満足した。

第2楽章、ファゴットの出だしから遅い。全体的に、遅い。でも音がよくうねるし、テンポチェンジも巧みなように感じられる。この遅いレントラーのあとに怒濤のような第3楽章を置くのだとしたら、それはそれで起伏が生まれて面白いのかもしれない。そう意図してのことかと思ったら……。

第3楽章、ロンド-ブルレスケ(アレグロ・アッサイ、きわめて反抗的に)。これも遅い。アレグロ・アッサイ(非常に速く)というのに遅い。なぜこうしたのだろう。インタビューで指揮者は、「この楽章は嵐、人生における戦い・挑戦・冒険」というようなことを話しているのに。あれでは「人生の戦い」どころか、チャンバラをスローモーションでみせられたかのようだ。ここを狂おしく、猛々しく、崩壊せんばかりに全速力で走り切ってくれないと、フィナーレに落ちていけない。

ゴムが伸びきったような気持ちで迎えた最終楽章。弦がよく鳴る。オーケストラはすばらしい。でも、もはや音楽が深いところに響いてこない。22'00あたりからの「死に絶えるような」音楽も心に迫ってこないのだ。たぶん、指揮者の音楽の設計が私には合わなかった。最後、音が消えてから1分近くも指揮者は腕を下ろさず、観客も拍手をこらえた。でも私は、以上のようなわけで感情移入できず、芝居っ気が強いなあと思うばかりだった。長い曲が、ただただ長く感じられた。

演奏を録音しているというアナウンスがあったので、もし放送?されるならもう一度きいて確かめてみたい、かな?

第1楽章 31'19
第2楽章 19'05
第3楽章 15'08
第4楽章 29'08(音が消えた)あるいは30'00(指揮者が腕を下ろした)
第1vn×16(左)、第2vn×12(右)、cb×8(最後列中央に横一列)

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2009/06/28(Sun)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


Giulietta Machine@公園通りクラシックス

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2009年6月24日(水)19:30
ジュリエッタマシーン
江藤直子(p、key、voほか)、大津真(gほか)、西村雄介(b)、藤井信雄(ds)
ゲスト:斎藤ネコ(vn)、小川美潮(vo)
公園通りクラシックス


CD発売記念ライヴ、第2回。先月は中目黒・楽屋という場所柄、隠れ家で開かれた会員制の集まりという雰囲気もあった。今晩は渋谷、パブリックな会場で、立ち見客も出る盛況。

少ない音数で隙間のある音場が組み立てられ、そこへオーディエンスが自身の記憶や思い入れを投影することで音楽体験が完成する。意識に上るのは人それぞれ、時によりそれぞれ。映画であったり、(別の)音楽であったり、香り、文章、その他あれこれの記憶の断片であったりするだろう。「BGM」と戯称するのはそれでだろう。ほどほどに抽象的なせいで、かえって脳内に豊かな響きが残る。

だから、これまで何度かジュリエッタマシーンのライヴをきいて、バンドが出す音になんら過不足を感じることはなかった。

ところが今晩、前半に斎藤ネコのヴァイオリンが入ってみると、バンドに微量な熱が加わり音楽が驚くほど具象的になって面白かった。音響的にはサステインの効く楽器がひとつ加わったというだけなのだが、熱の加え方が絶妙。

特にそう感じたのは入って最初の6。江藤のハミングを引き継ぎ、G線の低い音で表情を抑えてメロディを奏でたところ。ここを高い音で緩急強弱の節回しでやろうものなら、およそジュリエッタマシーンの音楽にそぐわない。一輪車を漕ぐようなトリーリョス・ウルバーノスのリズムにそぐわない。そのギリギリのところで、表情豊かな楽器を抑制して鳴らす。このあたりが長年の呼吸なのか、と思う。

そういうサジ加減は、斎藤の演奏の端々に感じられ、手元のメモに「サッポロ一番塩ラーメンには白ゴマ」「ギョウザのタレには酢」などと書き残したほどだし、その晩に食ったパスタに掛けていえば、ボロネーゼソースのリングイネにはやはりパルメザンチーズが合う。それなしでも十分に美味いが、あればなお美味い。

抽象と具象ということなら、小川美潮の歌が入れば、これはもう具象的音楽の極み。愛猫を亡くした悲しみの淵で歌詞を書いた(小川)という12。経緯をMCできいたからか、ピアノの短いが印象的なイントロは、猫の気まぐれな歩みを描写していたかのよう。「悲しみを空へ~」という歌を引き継ぐギターのピックアップソロの巧みさときたら、空へ飛んで行きかけた風船の糸をナイスキャッチしたかのようだ。

アンコール1曲めは、ようやく念願かなってワン・ノート・サンバ。恋人同士、友達同士の絆を歌う日本語詞がすばらしい。録音してくれないものか。おかしかったのはこの曲の斎藤のソロ。本当にワン・ノート(とオクターヴ)しか弾かないんだもの。


1. Samba Giulietta
2. Caprica
3. Africo
4. Lounge
5. Smith
6. Arios(n)
7. Rain Tree(n)
8. Song(n)
9. Nanan(n)
(休憩)
10. ときどき(m)
11. ワルツ・フォー・美潮(m)
12. ナイト・ソング(m)
13. 三月の水(m)
14. ぼんやりと(m、n)
15. バラに降る雨(Double Rainbow)(m、n)
16. Duet Song for Neko and Mishio(m、n)
17. ひまわり(m、n)
(アンコール)
18. ワン・ノート・サンバ(m、n)
19. A Ra(蛙のサンバ)(m、n)

2009/06/24(Wed)
ライヴ - その他の音楽 | trackback(0) | comment(0) |


ヴァレリー・アファナシエフ@東京オペラシティ

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2009年6月18日(木)19:00
ヴァレリー・アファナシエフ
ピアノ・リサイタル 音楽劇「展覧会の絵」
東京オペラシティコンサートホール(1階18列8番)

ドビュッシー:前奏曲集第1巻 第6曲「雪の上の足跡」(3'40)
プロコフィエフ:風刺(サルカズム) 第2曲「間のびしたアレグロ」(1'27)
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲 第14曲 変ホ短調(1'59)
プロコフィエフ:風刺(サルカズム) 第1曲「嵐のように」(2'04)
ドビュッシー:前奏曲集第1巻 第10曲「沈める寺」(6'22)


なんとまあ情報量の多いライヴだったこと。前半の5曲がなぜ選ばれ、その順番に並べられたかという点について、プログラムに見事な考察があり得心した。書き手はピアニスト木曽真奈美氏。詳細は長くなるので書かない。すべてを受容できたかどうか、心もとない。

ドビュッシーは淡色から墨、プロコフィエフはエッジのきついRGB、ショスタコーヴィチはベタ塗りの原色。各曲の響きの違いを弾き分けながら、首尾一貫したマナーでプログラムが進められる。すると個々のピースが曲集の文脈から離れて別次元の光を放ちはじめ、あたかも初手からそのように意図された組曲か何かであるようにきこえてくる。弾きたい曲を弾くという演奏家の気まぐれやエゴはなく、そう弾かなければならないロジックが考え抜かれている。その感じは、1年前に同じ会場できいたピエール=ロラン・エマールの演奏から受けた印象と重なる。

「沈める寺」の「ラ」のオクターヴの澄み切った響き。まるで音に意思があってピラミッド状の天井に立ちのぼっていくような、あるいは、天井から垂れた見えない糸が演奏者の腕を操っていたかのような。


ムソルグスキー:音楽劇「展覧会の絵」(|1'26/4'52|0'51/4'48|0'30/1'14/3'20|0'39/1'32/2'25|1'20/1'35/1'54/1'53|最後の2曲まとめて9'21|)

上記「|」のところに一人芝居が入る。語り手はムソルグスキーでもあり、そのアル中の作曲家に仮託したアファナシエフ自身でもある。言葉は英語。滑舌が本職の俳優ほどよくないせいか、ほとんど台詞をききわけられなかった。残念。

以下、字幕表示を手元に走り書きしたフレーズ。
---
ペシミストが知っている通り/世界は巨大な病院だ
(注:鼻をつまんでウォッカを一気に呷り)これはロシア人の酒の飲み方だ/プロセス自体に問題はない
(注:赤ワインを啜り)フランス人は色と香りを大切にする/プロセスが大事で結果は問題ではない。
結果重視のロシア人は/一刻も早く別次元を目指す
ベートーヴェンの傑作は/今の時代のやり方で演奏されるべきだ
古城(注:古楽)は、演奏のたびに建て直すべきだ/死者と共に生ける言葉で
コミュニズム、ナチズム、デモクラシー/ちょっとした変化で大きな変化
ステイタス・クォー
ただ芸術だけが歴史を正統(注:ママ)に擁護することができる
---

ムソルグスキーのこと、自身の音楽観、政治観、アメリカ大衆文化への皮肉、などがスキットで披瀝される。進むうちに演奏と芝居のどちらが主かわからなくなってくる。それがやる側の狙いで、術中にはまったのだろうとも思う。

堂々とした「キエフの大門」、ロシア音楽特有の鐘が鳴り響く。これほど説得力があり、カタルシスを感じさせる音楽はないように思う。それが終わり、ピアノのふたを閉め、大団円。ボトルに残ったウォッカを浴びるように飲み干して果てる。人間であることの病が癒えて退院。だから最後はハッピーエンド。


浅田彰【アファナシエフと再会する】(批評空間、2001年)
「ひとつ面白かったのは、ソヴェト体制下のロシアに対する評価が年とともに変ってきたという話だ。若い頃の彼は、ソヴェトを「地獄」と感じ、74年に西側へ亡命する。しかし、資本主義による文化の大衆化がとめどもなく進む現在から振り返ってみると、ソヴェトはむしろ「煉獄」であり、その中で高い水準の文化が緊張感をもって生きられていたと言うべきではないか。それを一概に否定することはできないのではないか。」

2009/06/18(Thu)
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アファナシエフ、梅田;都響@サントリーホール

photo_20090614.jpg

2009年6月14日(日)14:00
東京都交響楽団
プロムナードコンサート No. 334
指揮:梅田俊明
ピアノ:ヴァレリー・アファナシエフ
ソロ・コンサートマスター:矢部達哉
サントリーホール(1階6列7番)

ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲(8'48)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(21'55/6'07/11'22)
シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 作品39(10'52/9'00/5'02/12'03)
(アンコール)
シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ(4'52)


ロッシーニの序曲。楽しい音、悲しい音、強い音、弱い音、幅広い音、細かい音。あらゆる音がオーケストラから出てくる。理屈抜きに楽しい。一義的にはオペラ本編あっての序曲だろうけれども、こうして演奏会の最初に置かれると、耳を音場に慣らすのにちょうどいい。楽団の実力もわかる。速めのテンポですっきりまとめられたのもよかった。

ベートーヴェンのコンチェルト。アファナシエフがどれだけ遅いテンポで弾き始めるか、その一点に息を詰めていたら、これが意外に普通で肩透かし。続く梅田のテンポ設定も中庸。独奏者と指揮者との間にどんな合意があったのだろう(第1楽章だけとっても、スダーン;ザルツブルク・モーツァルテウム管とのライヴ録音より2分近くも短い)。

しかし、ピアノの弾き方にぞんざいなところは一切ない。弱音の取り扱いが実にていねいで、真っ白なキャンバスに静かに下塗りをするように音を置く。間の取り方も独特で、4分近いカデンツァに入る直前、両手を鍵盤から離してダラリとしておき、そのフェルマータのギリギリいっぱい、音楽を宙ぶらりんにする。

この間合いは、隙間だらけにできている第2楽章でさらに生きた。音よりも間によって音楽を雄弁に響かせる。静寂が音楽の一部であるという、考えてみれば当たり前のことを実感した(芥川也寸志の「音楽の基礎」の冒頭に、「音楽の素材-静寂」という節が置かれている。音楽入門書を「静寂」から語り起こすという慧眼)。

シベリウスの交響曲。ふだんあまりきかない曲で、メインディッシュではあるけれどもオマケのように考えていた。詩情あふれる旋律が次々と出てきて大きな流れを作り出す。チャイコフスキーを想起させる。都響は前回、インバル指揮でチャイコフスキーの第5番をきいた。そのときはあまりにドライでピカピカで嫌味にさえ感じたもの。今日の演奏は、背筋をピンと伸ばし、自信にあふれた梅田の指揮(コンチェルト以外は暗譜)に、オーケストラが実力通りの演奏でこたえるという素晴らしい内容。

終わってみれば、プログラム全体が「急-緩-急」という流れで組まれており、真ん中に置かれた全3楽章のコンチェルトが入れ子になっていたことに気づいた。なかなか心地よいプログラムだった。

2009/06/14(Sun)
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松田美緒、笹子重治デュオ@プラッサオンゼ

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2009年6月8日(月)20:00
松田美緒(vo)
笹子重治(g)
ゲスト:サイゲンジ(g、vo)(15、16)、タマンゴ(per)(16)
プラッサオンゼ


4月に続き、プラッサオンゼで。今月下旬から初めてのフランスツアーに出るそうで、今晩はルーツのひとつであるブラジル音楽を訪ねなおす、見つめなおすような選曲。

初めてきく曲も多く(特にシコ・ブアルキの諸作品)、その天然なチョイスに裏切られる感じが楽しい。あ、小室メロディの13も。デュオのパートナー、笹子重治のギターの腕前にあらためて感心。サイゲンジがふらりときてやった、15と16も面白かったな。

しかし、歌がどうも染み込んでこない。それはこちらの体調がすこぶる悪かったせいで、たいへん不本意なのだが。


1. Avarandado
2. Na baixa do sapateiro
3. Eu te amo
4. Tatuagem
5. Sentado a beira do caminho
6. A felicidade
7.
8. Feitio de oração
(休憩)
9. Maninha (?)
10.
11. Foi deus
12. Eu não existo sem voce
13. My Revolution
14. Pitanga
15. Las golondrinas
16.(即興)
17. Festa de Rua
18. Trenzinho do caipira
(アンコール)
19. Se todos fossem iguais a voce



2009/06/08(Mon)
ライヴ - ブラジル&周辺 | trackback(0) | comment(0) |


現代日本のオーケストラ音楽 第33回演奏会@東京文化会館

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2009年6月4日(木)19:00
現代日本のオーケストラ音楽 第33回演奏会
―第31回作曲賞本選会と招待作品の演奏―
指揮:小松一彦
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
東京文化会館大ホール(全席自由)

●表彰式
日本交響楽振興財団奨励賞(入選作品2曲)
●第31回作曲賞入選作品
小坂友宏:Consummated Another Shadow~影を失ったもう一つへの消滅~(10'33)
小森俊明:管弦楽の為の変遷(13'06)
●招待作品
黛敏郎:曼荼羅交響曲(6'27/9'46)
湯浅譲二:クロノプラスティクIII ―スタシスとキネシスの間で― ~ヤニス・クセナキスの追憶に~(12'14)


●小坂友宏:Consummated Another Shadow~影を失ったもう一つへの消滅~(10'33)
断片的な楽節がオーケストラのあちらこちらからさまざまに現れて、揺れながら減衰して無音に還っていく。木管と弦が神経質な擦過音をたてるけれども、エッジが丸く、長く続きもしないから、不快な感じはない。

作曲家のコメントの中に、「不安定で曖昧な意識と決定的で完全な確固たる無意識には密接な関係がある」といった記述がある。そういう文脈に即していえば、内向的な感受性が鋭く微弱な刺激に対する閾値はとても低いが、一方で高揚興奮してアッパーな響きに傾くときは適当なところでリミッターがかかってしまう。そんな印象。だから音量的なレンジも狭く、魂ごと持っていかれる感じがあまりない。フルオーケストラを使うのだから、もったいない気もした。


●小森俊明:管弦楽の為の変遷(13'06)
入選作品2曲め。冒頭の強奏、そしてまた強奏で休止してヴィオラが残るところがカッコいい。前の作品と比較して、よりコンベンショナルな純粋音楽にきこえる。「よりコンベンショナルな純粋音楽」というのは変な物言いかもしれないが、作曲のコンセプトを作曲家自身が詳しく解説するのもどんなものか。この作曲家がコメントするのは曲の構造のことだけで、標題的なことには言及しない。その点で対照的だし、選考で評価が分かれるような気もする。しかし私はこの曲、後半で少し居眠りしてしまった。ゴメン。

どちらが作曲賞に輝くか、あるいは該当なしか。今日の実演による選考を経て、結果は6月8日(月)以降に日本交響楽振興財団のウェブサイトで発表されるとのこと。


●黛敏郎:曼荼羅交響曲(6'27/9'46)
録音は岩城宏之;N響のをきいていたが、ライヴはまったく次元の違う音響体験。弦各部を(おそらく)同数の2組に分け、両翼にひと組ずつ配置。しかも指揮台から離して舞台の左右ぎりぎりまで広げている。ぽっかり空いた中央には、フロントにチェレスタ、ハープ、ピアノが並び、その後ろに木管、金管、打楽器。

そうやって実現される、広がりと奥行きのある音場。第1部のパーカッシヴな展開はピンボールマシーンがたてるノイズのよう。指揮者がボールを送り込むと、オーケストラの各部がチン! ドン! シャン! ギュイーン! ボヨーン!と、不規則な衝突を繰り返す。私は上の録音以外にリファレンスがなく演奏の成否を判断しようもないが、今日演奏されたプログラムの中では抜きん出た気迫を指揮者からも楽員たちからも感じたし、特に小松の両脚を踏ん張って前のめりになってやる指揮姿には強い感銘を受けた。それはクラウチングスタイルをとるボクサーか、低い姿勢でまわしを狙う力士のようでもある。はたまた、田植えをする農夫か。井上道義が伊福部昭の日本狂詩曲を評して「田植えのようなリズムだ」(出典、要確認)と言っていたな。録画(読響)をもう一度チェックしてみよう。

黛作品、先日の下野;読響による「涅槃交響曲」も腰が抜けるような体験だった。今回のはそれより構えが小さく演奏時間も短いが、生できくと大変面白い。また実演される機会があれば逃さず経験したいと思う。

しかし涅槃を書いたとき黛は29歳、曼荼羅は31歳。冒頭の新進2人とほぼ同年代だったわけだ。昔の人は、すごいな。


●湯浅譲二:クロノプラスティクIII ―スタシスとキネシスの間で― ~ヤニス・クセナキスの追憶に~(12'14)
黛と同じ、1929年生まれの湯浅譲二。去年からのバカラックレオンハルトに続き、ここにもいた、スゴい80歳。

スティールパンがばらばらと連打されて曲が動き出し、厚塗りされた弦が無階調のグラデーションで高いところから降りてくる。音が生き物のようにウネウネ途切れることなく展開されていくのをきくと、音楽をきいて時間が伸縮する感覚というのがわかるな。ショスタコーヴィチの交響曲第8番第1楽章にも同じような感じがある(感興はまったく異なるけれど)。

演奏が終わり、先の2人と同じあたりの客席から作曲家が立ち上がり、ステージへ。ご本人もいらっしゃっていたのか。休憩中のロビーには一柳慧の姿もあった。この催しのことは不勉強でこれまで知らなかったが、たった2,000円ですごい体験をさせてもらった。

2009/06/04(Thu)
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ノット;N響、庄司@東京オペラシティ

2009年6月1日(月)19:00
Music Tomorrow 2009*
指揮:ジョナサン・ノット
ヴァイオリン:庄司紗矢香**
管弦楽:NHK交響楽団
東京オペラシティコンサートホール(2階L2列50番)

原田敬子:エコー・モンタージューオーケストラのための(2008)[第57回「尾高賞」受賞作品]
斉木由美:モルフォゲネシス(2008)[N響委嘱作品・世界初演]
(休憩)
藤倉大:secret forest for ensemble(2008)[第57回「尾高賞」受賞作品]
ジェルジ・リゲティ:ヴァイオリン協奏曲**(1992)


前半の2曲。こういうゲンダイの作品は、目の前で起こっている現象、鳴っている音響に集中没入できなければ、指の間を水が流れ落ちるようにするすると消え去ってしまう。それが今日、隣りに座った落ち着きとマナーに欠ける客のせいで台無しに。こういうことは、書いたところでよけい癪にさわって得るものはないのだけれどもさ。

気を取りなおして、3曲め。先日、読響委嘱作品の世界初演をきいた藤倉大の作品。これは本当に面白い。ステージ上には向かって左からヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1の計9人の弦楽器奏者。木管金管は1階の客席にいる。将棋盤でいえば1一にクラリネット、1五にホルン、1九にトロンボーン、5九にトランペット(9一、9五、9九の位置にも木管?がいたと思われるが、左翼2階の私の席から死角で視認できず)。そして5五、つまり客席ど真ん中にファゴット。

盤面の周縁を固める木管金管が「森」のイメージで、5五のファゴットは森の中を歩いていく「人」なのだそうだ(作曲者自身のプログラムノート)。相当な高音が割り当てられたファゴットは、オーボエとまではいわないまでも、イングリッシュホルンのような音域でがんばっている。

ステージと客席の楽器群が総奏すると、今まで体験したことのないような広がりのある音響が立ち現れる。面的に広がっているわけだから音に広がりがあるのは当然なのだけれど、こういう配置から発せられる音を全体としてきくのは理屈抜きに面白い。前回の読響が演奏した藤倉作品ではオーケストレーションの薄さを感じてしまったものだが、今日の編成はそれよりぐっと人数が少ないにもかかわらず、響きの充実ぶりは比べものにならない。

最後、リゲティのヴァイオリン協奏曲は、たいそう美しい傑作。庄司紗矢香というヴァイオリニスト、その名前は知っていたが、演奏は初めてきく。第2楽章の深くて甘い独奏。残響が長くて音の角を丸くさせる会場だから、演奏の真価はまだわからない。

第3楽章のクライマックスを乗り切り、第4楽章のコーダで緊張の極みに達する。で、終楽章の出だし、空気をぶった切るような迫力。カデンツで各楽章を回想する。この演奏がまたものすごい。


*
N響<Music Tomorrow>は、1988年に現代作品のコンサートとして、<Music in Future>の名でスタートしました。プログラムは、N響が1952年に創設した「尾高賞」受賞作品と、委嘱作品の初演を中心に行うものです。

今年で第57回となった「尾高賞」は、かつてN響の専任指揮者であり、作曲家でもあった尾高尚忠(1911-1951)の遺志を継いで設けられた管弦楽作品のための作曲賞で、前年にコンサートや放送を通じて初演された日本人の作品のなかから選ばれます。…(プログラムより)


【予習】
藤倉大作品の録音7曲(iTunes Store)
icon
György Ligeti: Clear or Cloudy (Amazon.co.jp)

2009/06/01(Mon)
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