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渋谷毅ソロ@アケタの店

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2009年7月25日(土)24:00
渋谷毅ソロ
アケタの店

2カ月半ぶりのアケタの店の深夜ソロ。先月は35周年記念プログラムで1回休みがあり、5月9日以来、少し長めのブランクがあった。

2はテーマからアドリブ。曲を解体ギリギリのところまで追い込んで、漂えども沈まずのスリリングな名演。5、8、11は、録音でもこの店でも何度もきいているはずなのに、初めてきくように思えるほど新鮮な解釈に満ちていたように思う。12は熱演と呼ぶしかない。いつもはどんな曲でも飄々として、酔ってもなお姿勢を崩さず、照れ隠しをするようにエンディングで無造作に鍵盤とペダルを放してしまう人が、あれほど熱いのだから。

今晩のアケタの店は熱かった。いや暑かった。この音を2カ月半、欲していたのだな、と思う。

1. My Man ~ Just a Gigolo
2. Monk's Mood
3.
4. New York 19 ~
5. I Didn't Know About You
6.
(休憩)
7. Danny Boy
8. Body and Soul
9. Misterioso
10. Jeanie with the Light Brown Hair ~ Day Dream ~ Snowfall
11. Lotus Blossom
12. Looking Glass

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2009/07/27(Mon)
ライヴ - ジャズ | trackback(0) | comment(0) |


阿部千春、大井浩明@同仁キリスト教会

20090725-1.jpg

2009年7月25日(土)18:00
モーツァルト パリソナタ集(全6曲)
~若き天才作曲家が世に問うた「作品1」~
阿部千春(クラシカルヴァイオリン)
大井浩明(フォルテピアノ)
同仁キリスト教会

ソナタ ト長調 K. 301(8'20/5'03)
ソナタ 変ホ長調 K. 302(5'09/5'03)
ソナタ ハ長調 K. 303(4'42/4'06)
(休憩)
ソナタ ホ短調 K. 304(9'37/4'44)
ソナタ イ長調 K. 305(6'35/8'50)
ソナタ ニ長調 K. 306(7'16/6'51/6'33)


護国寺で下車するのは久しぶり。講談社の新社屋へ打ち合わせに出かけたのが最後で、10数年前か。新書執筆の依頼をもらったのだが、テーマに気乗りせず話を流してしまったのだった。

会場の同仁キリスト教会は、その講談社の旧社屋を右手に見て、大塚警察署の角を右に上ったところにあった。住所は文京区目白台。1872(明治5)年に周辺の町と旧土井、小笠原、細川の下屋敷、武家地が合併し、1967(昭和42)年まで高田老松町と呼ばれていた。教会に隣接する家の塀に、そのような説明書きのパネルがひっそりと掲げられていた。

同仁=Universalist(普遍救済論者)は世界の終末には全人類が神により救われると説く。特に18世紀後半、英米で広まり、日本には1890(明治23)年に伝わったという(大辞林など)。なるほどプロテスタントの教派らしく、建物の内外には偶像、装飾のたぐいがほとんどない。

1778年、つまり231年前に書かれた曲。予習していったのは、ヨゼフ・シゲティとミエチスラフ・ホルショフスキーによる演奏。飴色の、とても滋味にあふれるモノラル録音。15のソナタを収録する4枚組のCDから、K. 301-306だけをプレイリストにして、繰り返し聴いた。



びっくりしたのは最初のK. 301で、フォルテピアノという楽器の響きの弱さ薄さだ。低音はチェンバロ~クラヴィコード(先日大井のCDで聴いた)のような金属的な音がして、高音はモダンピアノのようでありながら、ミュートして残響を消したかのような音がする。一方の阿部のヴァイオリンは、コシはあるものの地味な音色。こういう、いかにもごまかしの効かなそうな楽器を鳴らしてブレンドさせるのがすごいな。第2楽章。シゲティの嗚咽を上げるようなメリスマはなくて、阿部は軽やかにスキップしながらメロディを鼻歌する。目の前にいる2人の音楽家は、屋外30度の日に室内で涼しい顔をしながら相当にトンガっている。

K. 302。大好きなK. 467の第2楽章を思わせるような響きがある。ピアノの速いパッセージの安定感がすごい。第2楽章。出だしの軽さがホルショフスキーとは全然違う。主題を繰り返すところで、大井が左手でガツンガツンとヴァイオリンに対旋律を当てる。これもトンガっている。

休憩を終えて、K. 304、短調のソナタ。音場に耳が慣れたせいか、楽器が暖まったせいか、音楽の表情付けがいちいち腑に落ち、すばらしい説得力を持ちはじめる。この曲はこれ以外の響きで聴きたくないと思わせる。

K. 305、舞曲なのだろうか。阿部はメロディを少し上ずって弾いてみせる。ヘミオラもあって、とても気持ちよい。

K. 306。この場所だから演奏の細部が聴き分けられるのだな。会場が小さな教会であることを幸福に思った。終楽章のカデンツァは、2人の演奏者が対話しながら、劇的というより、まさに劇のようなおしゃべりを繰り広げる。それを聴いていたら、すっかり楽しい気分になって口角が弛んでしまった。



古楽器、ピリオド奏法といった、アカデミックでハイブラウなクラシック音楽のタンコブがあることは、もちろん見聞きしはしていたけれど、それがどうありがたいのか、私はよく知らない。今日の目当ては一も二もなく大井浩明で、モーツァルトのソナタを聴くのも偶然。

このラディカルさはすごい。クラシックを笑い飛ばせるのは、クラシックの中にいる人だけなんだろうな。

2009/07/27(Mon)
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チョン・ミョンフン;東京フィルハーモニー交響楽団@東京オペラシティ

2009年7月23日(木)19:00
東京フィルハーモニー交響楽団
第47回東京オペラシティ定期シリーズ
指揮:チョン・ミョンフン
コンサートマスター:三浦章広
東京オペラシティ コンサートホール

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68(14'11/9'32/4'22/17'36)
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73(16'42/10'09/4'58/9'05)


●第1番、第1楽章。序奏部は、緩やかな足取りで、深い響きがする。続く第1主題にもくっきりとした彫りが感じられる。でも、177小節あたりでvnがフォルテッシモでやりはじめると音がダマになって潰れてしまう。これは、座った席のせいか、演奏のせいか、残響の多いホールのせいか。ふだんより増員されたようにみえる弦各部の、しかし低弦部は、くっきり、ごりごり、地響きがするように鳴っている。

第2楽章。ファゴットの入りは、とてもいい。オーボエがゆっくり味わい深くやるのもいい。練習番号Bからvaがゆらゆら動くのもきれい。オーボエのクレッシェンドが長く、ここは慎重すぎるかなという印象も残しながら、でも木管が弦とブレンドしてほしいところは、よくブレンドする(私の好きな、60小節1拍目の裏に木管でb♭のテンションが入るところ)。しかしまた、vn群の濁りが気にかかる。エキストラが多いせいだろうか、わからない。コンサートマスターとホルンのデュエットはよくバランスがとれて、とてもきれいだった。

第3楽章。速い。楽章をまたいで全曲のバランスを設計するところは、昨年11月にきいたようなチョンの仕事ぶりかなと思いつつ、もう少し深く彫り込むなり溜めるなりしてもよいなと思ったのは、71~72小節の5度下がる「死のモチーフ」のところ。

第4楽章。ピチカートをかなりゆっくり、続くストリンジェントのところを大げさにやる。ホルンがコラールをやって、尾根を谷まで降り、山上で鳴るホルンをみつける。そしてまた、tbのコラール~ホルンが交歓する。こうした流れがとてもいい。しかし、ハ長調のテーマでまたまたvn群が濁る。

このあたりまでで、以前このコンビの演奏に触れて感じたような、指揮者の意図と演奏能力のバランスがとれていない、そんなうらみが残った。

●第2番、第1楽章。186小節のリピートなしは意外。第2主題の再現部はカンタービレ、十分に幅広い。477小節の刺繍音型のmp、それに続く485小節のクレッシェンド。コーダ全体が美しい。

第2楽章、第3楽章もvn群が濁る。

第4楽章。23小節のトランペット(?)がアインザッツを微妙に外す。でも最終的に金管が引っぱって演奏を救った。

このコンビのブラームス、11月の、少なくとも第4番をきいてみたいものだが、行けるか。

2009/07/24(Fri)
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101年目からの松平頼則II@杉並公会堂

photo_20090717.jpg

2009年7月16日(木)19:15
101年目からの松平頼則 II
(第25回<東京の夏>音楽祭2009 参加公演)
杉並公会堂 小ホール

●セロ・ソナタ(1942/1947)(11'30/7'16/7'06)
多井智紀(vc)萩森英明(p)
●フルート、バスーン、ピアノのためのトリオ(1950)(4'41/2'44/5'55/4'02)
木ノ脇道元(fl)塚原里江(fg)井上郷子(p)
●弦楽四重奏曲第1番(1949)(7'59/4'13/5'24/10'36)
甲斐史子(vn)亀井庸州(vn)生野正樹(va)多井智紀(vc)
●3つの律旋法によるピアノのための即興曲(1987/91)(5'57/7'16/6'52)
井上郷子(p)
●雅楽の主題による10楽器のためのラプソディ(1982)(約19'22)
木ノ脇道元(fl)宮村和弘(ob)中秀仁(cl)塚原里江(fg)川崎翔子(p)甲斐史子(vn)亀井庸州(vn)生野正樹(va)多井智紀(vc)溝入敬三(cb)石川星太郎(cond)


平日夜に荻窪。着席してもなお、なぜこの演奏会の切符を取ったのか、うまく思い出せなかった。演奏された5曲はすべて初めてきく。正直なところ、よかったのかそうでなかったのか判然としない。

プログラムノートにはラヴェル、プーランク、雅楽とヒントがあるものの、それらはあんまり助けにならない。音楽に対する自分の射程の狭さとレセプターの貧弱さに恥じ入るばかりで、なぜ今晩ここにきたのだろうという思いがいよいよ深まる。

でも、やがて気づいたことがあった。松平頼則作品に慣れていないのは、きくほうだけでなく、やるほうもなのだ。きっと。

プログラムの中でとりわけ美しいと感じられたのは「3つの律旋法によるピアノのための即興曲」。美しいといったって、その印象は局所限定的、断片的なものにとどまるけれど。

どうやら3つの部分から成るらしい、短い音楽。どの楽章も、音が散り散りにばらまかれた後で、かならず基調音に帰っていく。

キンガコピーン、ゴコーン、ピーンンン、ポン、ガシャガシャ、ポンガガ、ポン、ポン

ピアノ(楽器)はベーゼンドルファー。暗くて芯のある音がする。演奏者が作品に慣れていないのではないかというのは、この井上郷子というプレイヤーには当てはまらない。松平作品の巫女とでもいったふうで、タッチ、背筋の伸び方、ペダルの操作、スコアを大切に扱う様子などに、強い感銘を受けた。

あと、フルートの木ノ脇道元。2曲めのトリオ、最後のラプソディで、プレイヤーとしての存在感を強く感じさせたな。

2009/07/23(Thu)
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日本の電子音楽@草月ホール

2009年7月11日(土)
日本の電子音楽
(「第25回<東京の夏>音楽祭2009 日本の声・日本の音」公演)
草月ホール

●プログラムA
黛:素数の比系列による正弦波の音楽は、二十億光年の彼方でネリリ、キルル、ハララしているようにきこえ、壇上の3つのスピーカーは頭でっかちなロボット。口べたで、言葉をしゃべれば、ピーポー。SFだ。

やがて側面と背面の4チャンネルを合わせて7チャンネルのスピーカーが鳴りはじめると、これはすごい。こうして人工的なマルチチャネルの音響を体験すると、しかし、つくづく黛:涅槃交響曲実演の人力サラウンドは格別だったと痛感するな。

真鍋博のアニメは、子どもの頃に親しんだ星新一のショートショートSFに挿入されたカットを思い出させて懐かしい。時計の針が人の脚やら何やらさまざまに形態を変えて描写される。終盤、鍵穴の向こうで女の服、下着のクローズアップ、次に男の一連のそれ。♂、♀の記号、対になった染色体状のものが次々に現れ、最後にENDの文字。「時間」という物語の中で生殖の営みと永劫回帰を表現したのか。あいにく背景の高橋悠治の曲はあまり印象に残っていない。映像の力は強し。

武満:水の曲も面白かった。音楽と言語の抑揚(お国訛り)とは相関関連があるという説をちょうど読んでおり(岩波新書「音楽の聴き方」岡田暁生)、それがすべての音楽に当てはまるわけではないにしても、間歇的な水滴、拍子木、鹿威しのような音が、日本人独特のツボとしか呼びようのないポイントで入るのが心地よい。それは一体どんなツボなんだときかれたって答えられやしないのだが(テープ音楽だし、手元にスコアがあるでもなし)、まあ、妙にはまるのだ。

これに舞が入ったのは面白かった。気まぐれな風や潮にも目があるように、不定形な音楽にも舞うための契機があり、銕之丞の舞がかえって武満の音楽の折り目を浮き上がらせる場面もあったようにも思う。たとえば澱んだ淵(手水鉢か?)の前に膝をつき、手で波立たせるところ。水紋がゆらゆらと顔に映る。天吊りのライトで水面を強く照らしたのはいいアイデアだった。


●プログラムB
松平の曲の現代性というのか、古びない音は、まずは録音できいていてびっくりしてしまった。今日の坂本龍一のループや、クリスチャン・フェネスの音と何が違うのだろう。機材の差以外に。

一柳慧:東京1969は、くだんの7チャンネルに天井の3チャンネルを含め、10の箱が鳴動する。後半の抽象的で耳をつんざく展開は、電気的な音響機材によってなしうる、ある種究極的な音体験といってもよさそう。最初のあの落語はだれなのだろう。だれか教えてください。

湯浅譲二の3曲は、上記の電子音楽とは本質的に袂を分つもので、ドミソの三和音、II-V、乗ってるかいイエー!でも、なんでもいいけれど、音楽の快感原則、あるいは、こうやったら気持ちいい盛り上がるという約束の型、手垢のついた約束事を排し、それでいながらいかに人の感覚を充足させるかという点に心を砕いているように感じる。音楽が徹頭徹尾、つかみどころなく新しい。ホワイトノイズ~で後頭部にドカンッと衝撃波を受け、次の瞬間、面前にチカチカパラパラと星が舞う。天才の仕事という感じがしたな。80歳。

坂本龍一の曲は、蛇足。


●プログラムC
佐藤聰明の曲は録音も含めてはじめてきく。

エメラルド~は、30分近く、一音のみの音世界。退屈? そうともいえるけれど、そうばかりでもない。月や星をみて退屈といえないのと同様に。これだけ長い時間、ライヴで同じ音をきいたのは、先日のジュリエッタマシーンのライヴできいた斎藤ネコのヴァイオリンソロくらいだ。

リタニ。2台ピアノがひたすらトレモロを続ける。潮の満ち引きかヒトの呼吸のような強弱がある。スコアにはどういう指示があるのか。みてみたい気がした。

宇宙(そら)~。パーカッション(木琴)とピアノのトレモロの点描の上に、えもいわれぬ美しいソプラノがのる。午後からきいてきいた音楽の対極、身体性のある美しい音楽。そしてすばらしい演奏。

太陽讃歌。流れる雲の映像をコマ落としでみるような効果がある。日が昇る音、沈む音。天体の運行をきくような響きもある。皆既日食は来週。



■プログラムA(14:30)
テープ作品集:電子音楽の夜明け
黛敏郎:素数の比系列による正弦波の音楽(1955)
黛敏郎:ミュージック・コンクレートのための作品「X、Y、Z」(1953)
諸井誠+黛敏郎:七のヴァリエーション(1956)
高橋悠治:フォノジェーヌ(1962)
真鍋博:時間(映像作品、音楽:高橋悠治、1963)
一柳慧:パラレル・ミュージック(1962)
武満徹:テープのための「水の曲」(1960)
[出演]九世観世銕之丞
武満徹:「怪談」より「木」、「文楽」(1964/1966)
(選曲:坂本龍一、音響ディレクション:有馬純寿)

■プログラムB(16:45)
テープ作品集:大阪万博へ
柴田南雄:電子音のためのインプロヴィゼーション(1968)
松平頼暁:テープのための「アッセンブリッジス」(1968)
三善晃:トランジット(1969)
一柳慧:東京1969(1969)
湯浅譲二:「ヴォイセス・カミング」より「インタヴュー」(1969)
湯浅譲二:スペース・プロジェクションのための音楽(1970)
湯浅譲二:ホワイト・ノイズによる「イコン」(1967)
坂本龍一:個展(1978)
(選曲:坂本龍一、音響ディレクション:有馬純寿)

■プログラムC(19:00)
佐藤聰明作品集
~テープ、デジタル・ディレイと2台ピアノのための~
エメラルド・タブレット(テープ作品、1978)
リタニア(2台ピアノ、デジタル・ディレイ、1973)
宇宙(そら)は光に満ちている(ソプラノ、ピアノ、パーカッション、デジタル・ディレイ、1979)
太陽讃歌(2台ピアノ、デジタル・ディレイ)
[出演]
小坂圭太(ピアノ)稲垣聡(ピアノ)野々下由香里(ソプラノ)山口恭範(パーカッション)
有馬純寿(音響)

2009/07/15(Wed)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


マイア・バルー、OKI@代官山UNIT

20090709-1.jpg 090709_maia_500.jpg

2009年7月9日(木)19:30
UNIT & マイア・バルー presents
地球をとってよ! Vol. 1
代官山UNIT

OKI
(OKI(tonkori、vo)居壁太(per、vo)沼澤尚(dr)内田直之(dub mix))
マイア・バルーBAND
(マイア・バルー(vo、fl、per、key、メガホン)アブドゥール智(b)駒澤れお(per、vo)ゲスト:Epizo Bangoura(dance、kola、vo、per))


マイア・バルーとUNITが共同で始めるライヴシリーズ「地球をとってよ!」の第1回、とのこと。

マイアの存在を知ったのは昨年1月。プラッサオンゼで松田美緒のライヴにゲスト出演して、何曲かでフルートとパンデイロを演奏していた。音楽的俊敏さというのか、体全体から発せられるグルーヴがすばらしかった。やけにステージ慣れして貫禄あるなあと思い、調べてみたらまだ23~24歳(当時)というのでびっくり、さらにピエール・バルーの娘というのでまたびっくり。

一方のOKIは、3年くらい前、知り合いにCD(トンコリのみの演奏)を押し貸しされた。覚醒効果と催眠効果を併せもつ独特のスピリチュアル/トランス/ミニマル音楽にショックを受けた。そのすぐあとにライヴの情報をキャッチしたのだが、他の予定と重なりチャンスを逃してしまった。

こういう個人的な機縁はどうでもいいことではあるが、どうも近頃、面前に立ち現れるミュージシャンたちが、みんなどこかでリゾームのごとくつながっているような感じがするもので、あえて。

■OKI
OKIのトンコリ(樺太アイヌの伝統楽器である五弦琴)、構えはトニー・レヴィンのスティックと似ている。でも開放弦のみで押弦はできない。一見すると自由度より制約のほうが大きそうだが、本人はこれをリズム楽器ととらえているのだそうだ(http://www.beats21.com/ar/A02052902.html)。

2×2の4小節、長くて8小節くらいの短い音型を繰り出し、それをリピートしながら少しずつアクセントの位置をずらしたり装飾的な音を入れていく。倍音が次々と重なり合って、楽器ひとつで広がりのある世界が生まれる。単調ではあるが退屈ではない(以前、アルゼンチンのビリンバウ奏者ハミロ・ムソットのライヴでも同様の感想をもった。会場は同じUNIT)。

沼澤尚のドラムが大暴れ。この人のヘヴィーなドラムはかなり腹に響いた。居壁太のコーラス、ムッコリその他のパーカッションのプレイ。そのルックスとともに、ああ、これがアイヌの男か、と思わせたな。

3は「2人の男が喧嘩している様子を表している」(OKI)という。それでも曲調は穏やかといえば穏やか。右手で不規則に入る低音が、そういうふうにきこえなくもない。

このバンドは、また機会をあらためてライヴを体験したいものだ。


■マイア・バルーBAND
シャンソン、サンバ、奄美島唄、ロマ、トルコ、マダガスカル、ギニア(のほかにもまだ何かあったか?)、世界の大衆音楽総合展覧会。といっても仰々しさや“お勉強”っぽいニオイは微塵もなくて、寄席色物を代わる代わるみせられているかのような感じもある(時に観客をいじったりもするし)。

7の歌、ヴィブラートが唐突にホルガー・シューカイのペルシアン・ラヴ(イランの女声をサンプリングした)を想起させた。しかし、その後のMCで奄美島唄だと紹介され、ああそうだったのかと諒解。私の知るかぎりの奄美の唄者のヴィブラートとは微妙に違う感じもしたが、これについては今後もう少しききこんでみるとしよう。

歌詞にも独特な世界観がある。8「2つの頭のある神様の話」も興味深いが、その中に挿入される語りの部分(この世の中には、目を閉じて生きている人と、目が開けて夢をみている人が同じ数だけいる、など)が、なかなか印象深く、考えさせられた。

ベースのアブドゥール智、パーカッションの駒澤れおの2リズムは、マイアの軽やかなパフォーマンスを岩盤のように支える。特にアブドゥールは、アルペジオや三度抜きパワーコードに加え、ファズを効かせてハーモニックスを鳴らしてみせたり、右手でストロークしたりと、音楽の肉付けを一手に担っていた。この黙々と働く2リズムは、時にエレクトリック・マイルスを思わせたり、プログレっぽい応酬に耽ったりもする。たいそう面白かった。3人でやっている音楽とは思えない。

マイアのフルートのプレイは、サヒブ・シハブの息もれ呻きスタイルをより過激したようなもので、フルートを吹きながらスキャットや歌までやる。そういうギミックを抜きにしても、小気味のいいフレーズを次々と繰り出すので気持ちがいい。

17、曲を進めながらのメンバー紹介。パーカッションの駒澤れおがカリンバの妙技を披露。お見事。続くベースのアブドゥールは、トルコ帽をかぶり、ヴェールをまとったマイアと寸劇。アブドゥールがトルコ語(?)で何かいうと、マイアが「私はコンドームが破れてできた子供ではありません、といっています」と通訳。ああそうか、コンドーム=トルコ帽に引っ掛けていたのか。

最後にマイアが自己紹介。ここで全員が色眼鏡をかけ、「そして私は、マイア……ヒー、マイアフー」と「恋のマイアヒ」に突入してひとしきりふざけた後、脈絡なく「男と女のテーマ(シャバダバダ、シャバダバダ、トワエモワ)」に転じて、オチが「パパ、ごめんなさい」。

すっかりネタにされているパパ。

# あ、あと、9でゲストのEpizoが弾いたコラ(アフリカンハープ)の響きはたいそう美しかったな。


(マイアとOKI)
1.
(OKI)
2.
3. Uchaore Irekte
4.
5.
6.
(マイア・バルーBAND)
7. ポプリ1
8. 神話
9. アジア
10. ONGAKU
11. 小さな奇跡
12.
13. 生きる(Vivre)
14.
15. デロスの丘
16. Gelem Gelem
17.
(アンコール)
18. 地球を取ってよ!

2009/07/11(Sat)
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メルクル;水戸室内管弦楽団、豊嶋@水戸芸術館

2009年7月4日(土)18:30
水戸室内管弦楽団
第76回定期演奏会
指揮:準・メルクル
ヴァイオリン独奏:豊嶋泰嗣*
水戸芸術館コンサートホールATM(B列17番)

ドビュッシー(カブレ編曲):こどもの領分
ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番 ハ長調 Hob. VIIa-1*
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 作品92
(アンコール)
ドビュッシー:同上 第6曲 ゴリウォッグのケーク・ウォーク(2'58)


●ドビュッシー(2'26/3'15/2'38/4'22/2'43/2'58)弦5部は6-6-4-4-2。
冒頭、水面に広がる波紋のようにクラリネットが出てきて、弦の輪が寄り添い、ファゴットが続く。ここはたいそう美しい。ビアノの原曲では仄かであわあわとした色彩を感じるものだが、この管弦楽編曲版は、木管の投入により彩度が増し、さらに金管がくっきりとした輪郭を音楽に与えている。

でもそれは仰々しい厚化粧のようなものではなく、無邪気さ、皮肉、ユーモア、残酷さといった原曲の契機をうまく残しながら、ドビュッシーが愛娘のために書いた曲を彼らのプライベートな居間から連れ出し、今日のような会場で演奏するために最低限のおめかしを施したという印象。素直で、よくできた編曲なのだな、と実演をきいて思う(録音では今ひとつよさがわからなかった)。

第4曲、弦の細かい音符で雪が舞い散る様子が描写され、その合間をピッコロとフルートがたゆとうところが心に残る。最後に弦の美しいフラジオレットで静かに曲が閉じられる。

ここらあたりに来るまでに、すでに指揮者の明晰で揺らぎのない音作りの姿勢がひしひしと伝わってきた。指揮ぶりも左腕の表現力がすばらしく、捻りのきく上半身の柔軟さなど、フェンシングの選手をみるかのようだ。反応よくこたえるオーケストラの力量も並々ならないもの。第6曲、大きな音量でやる納得の展開。構成感、統一感があり、なにより、理屈抜きに楽しい!


●ハイドン(9'59/4'57/4'23)
ハ長調の協奏曲。この演奏は私には響くところが少なく、たくさん書かないでおく。ハイドンの協奏曲は難しいのだな。メルクルは第2楽章のみタクトを持たずに指揮していた。


●ベートーヴェン(11'48/8'25/9'36/6'39)弦5部は7-6-4-4-2
第1楽章、出だしの総奏が大きい。9~10小節からの上昇音階の刻みはゆっくりめ。第1主題でフルート(音に艶があってすばらしい)、オーボエ、ファゴットが朗々と歌う。各所でみずみずしく張りのある音楽がもりもりと生まれてくる。指揮者は太い筆を持って一筆書きで線を描き、まったく迷うところがない。曲の隅々まで知悉して(当然だが)、100出せば出せるのを80くらいのパワーで余裕のアクセルコントロール。後半、テンポが緩み、短調に転じてオーボエが湿り気を感じさせるパッセージをやり(300小節から)、そのあとでまたじわじわとテンポを上げていくところ。そういうひとつひとつの流れが実に自然で、興奮させられる。

第2楽章、不滅のアレグレット。最初の木管と金管の和音が、何度もきいているのに、きいたことのないような新鮮な響きがしてハッとする。壁にピン留めされたような緊張感が生まれる。そうか、ここはとても重要なのだな。その上で、低弦のタータタターターをじっくり丁寧に作り込む。ここの土台がしっかりしているから、変奏が極まっていってもスタート地点の緊張感が失われずに続く。

スケルツォ。前半は軽め、中盤から濃いめ。こういうコントラストの付け方も、よく考えられている気がする。燃え方を制御しながらも、マニュピレートした痕跡を残さない。

フィナーレ、速い出だし。室内オーケストラなのに相当な音量が出る。むしろ500人くらいのホールを音で満たすには、これだけの楽員数で十分ということなのか。ともかく各パートの音の分離のよさはそのままに、オーケストラ全体がよく鳴る。メンバーひとりひとりの、音楽に取り組むポジティブな姿勢、ガッツが伝わってくる。吉田秀和さんが、「コンサートマスターになれる素養と、音楽にとりくむ積極的な姿勢をもつ人こそ楽員にふさわしい」(死と乙女のライナーノーツ)と書いていることが偽りなくそこにきかれる、感動的な演奏。

水戸では20年も前からこんなことが起こっていたのか。今まで知らなかったのは残念だけれど、これから通えると思えば、楽しみのほうが大きい。

2009/07/07(Tue)
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Sentimental Visit for Pina Bausch

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ピナ・バウシュが亡くなった。昨日の朝、新聞を開いて息を飲んだ。

ピナのことを知ったのは遅くて、ようやく2002年か、2003年。映画「トーク・トゥ・ハー」で意識して、その後、じっさいにヴッパタール舞踏団の公演をみたのは昨年春の2つのプログラム、「パレルモ、パレルモ」と「フルムーン」だけ。

昭和音楽大学のテアトロ ジーリオ ショウワで日本初演なった「パレルモ、パレルモ」(冒頭、総重量8トンのコンクリート壁が崩壊する負荷に耐える舞台はほかになかったとか)と、新宿文化センターでの「フルムーン」(あの大量の水をどうやってステージ外に排出したのか)。

今日は人間ドック。東新宿は新宿文化センターの近所にある病院に向かいながら、最近発売され、結果的に最初で最後のサウンドトラックになるのだろうか、「Vollmond music from dance theatre of Pina Bausch」(三宅純編集)をきいていた。2枚組の最後のトラックが終わったところで、ちょうど病院に到着した。

検査の順番を待っていると、待合室にあるミニチュアの自動演奏ピアノから、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が流れてきた。「パレルモ、パレルモ」で使われていた曲だ。こういう偶然は、今日に限って、あまりうれしくない。

がんを宣告されてから、数日後の死だったという。痛かったのかな。がんは、やっぱり痛いのだろうな。

人間ドックを終えて、新宿文化センターを訪ねてみた。そこは何も変わっていなかった。あの日の舞台の鮮烈な印象のほかに、ダンサーらしき観客の女性の、長い首に見惚れたことを思い出したりした。



2009/07/02(Thu)
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渋谷毅オーケストラ@新宿PIT INN

2009年6月29日(月)20:00
渋谷毅オーケストラ
渋谷毅(p、org)峰厚介(ts)吉田隆一(bs)林栄一(as)津上研太(ss、as)松本治(tb)石渡明廣(g)上村勝正(b)古澤良治郎(ds)
ゲスト:金子マリ(vo)(8~10)
新宿PIT INN


以下、Three Views of a Secretに引っ掛けて、3つのポイントだけ。

●その1。古澤良治郎、救出される。
前回(4/29)、初めてオーケストラのライヴをきいたときは、ゲストの外山明がドラムを叩き、古澤はパーカッションに回っていた。だから今回は初めて定位置できくことになる。

3で津上がソロ(ss)に入ると、後ろ(文字通り真後ろ)で古澤のドラムが突然ぐらぐら沸騰し、執拗に津上を煽りはじめた。すごい。あんなに煽られたら、ソロをとるほうも大変だろう。津上は見事やりのけた。

5はセカンドラインのカッコいいリズムをもつ曲で、松風のトラ、吉田隆一がブっとんだソロをやった。そしてドラムソロ。これがもう、停滞しながら跳躍するような、初速が衰えるにつれて坂道をゆるやかに転げ落ちるような。さっきの津上なんか、「どうなることやら古澤さん!」と、ニヤニヤしながらしゃがんできいている(ようにみえた)。酔っぱらってグダグタになってしまったようなドラムソロを、だれが最終的に引き取るのだろうか。ハラハラしていると、オルガンの白玉が出てきてようやくソロが着地。やはり救ったのは、渋谷だった。

古澤の演奏に、独特な跛行ぶりというか、外山明の影響(?)と思わないでもない場面があった。それは、きく側がそういう受け取り方をするからかもしれない。わからない。


●その2。渋谷毅、もてなす。
後半はエリントン・ナンバー2曲でスタート。7で、ピアノソロとホーンがたとえようのないくらいに美しくブレンドする。前半のようなオリジナル曲だと、ピアノの入る余地があまりない(音量的にもきこえない)のだが、エリントンの曲には、いい具合にピアノの見せ場がある。

それを終えて、ゲスト、金子マリが呼ばれる。びっくり。渋谷のもてなし方といったら、今まで座敷で手下の者と飲んだくれていたお父さん、身体を動かすのは杯を口に運ぶくらいだったのが、別嬪さんがやってきたと知るや、みずから玄関に迎えに行き、厨房で腕まくり、2~3品料理までこしらえちゃったという具合。

Lover Manのコンプ。歌に寄り添う美しいパッセージは、ソロでもこんなにあからさまな表現をしないのではないかというくらい。

金子マリは、私の貧弱な音楽的ボキャブラリーでいえば、ジャニス・ジョブリンが生きてるみたいだ。最後はリトル・ミルトンの「トウモロコシは腹の足しになりゃしない」というブルーズを歌った。リハ不足なのかオーケストラはデコボコした音を出したが、そこがまた、いい。

●その3。渋谷川、つながる。
11はマヘリア・ジャクソンの愛唱歌だった曲で、カーラ・ブレイのアレンジがいいという。そんな説明を渋谷がした。前日、渋谷川のほとりの酒場で、酒井俊がマヘリア・ジャクソンについて(ずいぶん)長く語っていた。渋谷川の歴史をそれとなく調べると、昔は水源のひとつに新宿御苑があったそう(はてなキーワード > 渋谷川とは)。ならば今晩、御苑にほど近いPIT INNまで川筋を副都心線で遡り、両者のライヴを2日続けてきいたというのは、単なる偶然であったにしても不思議なものだ。

マヘリア・ジャクソン、映画「真夏の夜のジャズ」でみたくらいかな。今度、ちゃんと向き合ってみようかと思う。


1. Side Slip
2. Ballad
3. Three Views of a Secret
4. もはやちがう町
5. Brother
(休憩)
6. Such Sweet Thunder
7. Sonnet for Sister Kate
8. Crazy He Calls Me
9. Lover Man
10. Grits Ain't Groceries
11. Soon I Will be Done with the Troubles of this World
(「アンコールは面倒なので、もう1曲やって終わりにします」)
12. A New Hymn

2009/07/01(Wed)
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