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パーヴォ・ヤルヴィ;シンシナティ交響楽団

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2009年10月26日(月)19:00
NHK音楽祭2009
シンシナティ交響楽団
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
NHKホール(2階C17列4番)

コープランド:庶民のファンファーレ(3'26)
バーバー:弦楽のためのアダージョ 作品11(8'49)
バーンスタイン:ウェストサイド物語~シンフォニック・ダンス(23'34)
(休憩)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界から」(12'44/12'22/7'37/11'23)
(アンコール)
バーンスタイン:キャンディード序曲(4'29)


クラシックという言葉で表象される長さ、安穏さ、退屈さ、そのままの音楽であったなあ。パーヴォ・ヤルヴィだからと期待した化学変化は、身中についに最後まで起こらなかった。

無理もない。アメリカの地方のオーケストラの音を、日替わりの刺激に満ちた東京で物足りなく感じたとしても。「クラシック音楽はローカルな音楽」「そのオーケストラならではの音を大切にする」と主張する指揮者である。今晩表現しようとしていたのは、毒より薬、先鋭より歴史であったかもしれない。

パーヴォの指揮、次回は別のオーケストラで聴いてみたいもの。やはり、トンガリめのやつをお願いします。

(写真はフィレンツェの薬局Santa Maria Novellaの薬草酒Alkermes。終演後、渋谷某所で)

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2009/10/27(Tue)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


オレグ・カエターニ;都響、カティア・スカナヴィ

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2009年10月23日(金)19:00
東京都交響楽団第686回定期演奏会Aシリーズ
指揮:オレグ・カエターニ
ピアノ:カティア・スカナヴィ*
コンサートマスター:山本友重
東京文化会館(2階2列16番)

モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K. 201(7'05/6'06/3'07/4'52)
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26*(9'32/10'01/10'15)
(カティア・スカナヴィ アンコール)
ショパン:ノクターン 嬰ハ短調*(4'13)
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲第6番 ロ短調 作品54(17'23/6'15/6'46)


3年前、一番手に入れやすいショスタコーヴィチ交響曲全集のひとつが、カエターニ;ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団のCDだった。10枚組で1万円もしなかった。

けれども、ジャケットの趣味の悪さといったらこの上ない。録音のクオリティも低く(レベルが低い)、聴く機会は多くなかった。指揮者カエターニという人がいいとか悪いとか、それ以前の閊えがあった。

都響に客演したカエターニ。長身痩躯。膝から上をリズミカルに揺らし、長い腕で表現豊かに音楽の流れを半歩ずつ先取りする。とてもわかりやすい指揮。聴いているほうも安心していられる。誰かの動きに似ていると思ったら、ラショウさん。そう書いたところで、わかる人も笑える人もごく限られるとは思うが。

モーツァルト(弦5部は8-6-4-3-2)。モーツァルトは、何かの曲が目当てで切符を取ると、抱き合わせのように付いてくる。そのたびに聴いたことのない曲をだんだん覚える。

今回も、そう。交響曲第29番という曲の世評も、この日のプログラムの最初に置かれる意味も知らない。今月、ハイドンの交響曲と四重奏曲を聴く機会があった。それはとても楽しく実り多いもので、モーツァルトを選好する理由がまた曖昧になってしまった。ともかくこの日の第29番は、録音で聴いていたホグウッド指揮の演奏より、第2楽章アンダンテがずいぶん速い。

プロコフィエフ(弦5部は16-13-10-10-8)。素早い場面転換、スリルに溢れる演奏は、アドヴェンチャー映画を観るよう。ソリストのスカナヴィは、背中を丸め腕を猫のようにして鍵盤を叩く。音量がでかい。詩情をたたえつつ決して感情に溺れない、ピンと抑制の利いた演奏。この曲のメカニカルな作りはプログレッシヴロックに通じるな。アンコールのショパン:ノクターンは、緩急強弱が体の芯から自然に溢れ出るようで、さらさらに乾いている。作為のまったく感じられない秀演だったと思う。

ピアノ協奏曲というジャンルのあり方について、先日のエマールとノット;バンベルク交響楽団のブラームス以降、考えていた。月刊都響10月号の36ページに、岡田暁生さんの「ピアノ協奏曲の“変容”」というエッセイが出ていた。なかなか示唆に富む。

ショスタコーヴィチの6番(弦5部は同上、だったと思う)。陰鬱な第1楽章を経て、2楽章からフィナーレと進むに至り、作曲者にまつわるエピソードなど考えず、鳴っている音楽を鳴っているままに楽しめばいいのだな、と思うようになった。なにしろ明るい、楽しい。フィナーレのコーダにはバレエ「明るい小川」のアレグレットが共鳴し、昨年同じ会場で観たボリショイバレエの実に開放的で朗らかなその舞台が脳裏にありありとよみがえって、最後はタクトが下ろされるのをニコニコしながら観ていた。

タキシードを脱いだカエターニは、ブラウンのタッセルスリッポンを履いていた。イタリアンである。演奏の印象と重なった。

2009/10/25(Sun)
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ピエール=ロラン・エマール、ジョナサン・ノット;バンベルク交響楽団

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2009年10月20日(火)19:00
バンベルク交響楽団
指揮:ジョナサン・ノット
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール*
サントリーホール(2階LA1列17番)

ブラームス:大学祝典序曲 作品80(10'42)
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90(14'12/8'38/6'33/8'46)
(休憩)
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15*(22'58/13'46/12'13)


ブラームスの全貌を聴くにはやはりセット券がお得。(梶本音楽事務所のパンフレット=上の写真)

「ブラームス・チクルス」という企画側の意図はわかるけれども、3日間の日程に、交響曲全4曲のほか、協奏曲2曲、序曲2曲を詰め込むというのは、いくら何でもやり過ぎではないか。マクドナルドのセットメニューではないのだから、ハンバーガーとフライドポテト、ましてや飲みたくもないコカコーラを短時間に胃袋に流し込むようなものではあるまい。どの道、何をしたところで、たった3日間で“全貌”を聴けるわけがない。

その点、昨年6月のパーヴォ・ヤルヴィ;フランクフルト放送響のブラームス・チクルスは違っていた。横浜みなとみらいというdetachedな場所を選び、金曜日に若者を集めたクローズドなレクチャーをして、土日で交響曲を2曲ずつ計4曲。その3日間がこの上なく充実していたのは言うまでもない(土曜日には公開リハーサルもやっていたはずだ)。

自分の耳の悪さ、センスの悪さを棚に上げた夜郎自大と承知の上だが、協奏曲というジャンルがまだよく理解できない。今年聴いた演奏会でも、わずかな例外を除いて、胸にぐっと迫るということがない。例外は、アファナシエフと梅田;都響、そしてアックスとギルバート;ニューヨークフィル。どちらもベートーヴェンの4番。

それに、ブラームスは好きだけれど、この曲はどうにも大袈裟すぎてよくない。エマールならばこれをどう弾くのだろう、ノットならばどう振るのだろうという期待はあったが(6月にノットがN響と庄司とやったリゲティはじめ、現代曲はよかった)、その期待をいい意味で裏切るものはなかった。エマールは珍しくミスタッチが目立ったし、ソロ・リサイタルで輝いていた姿はどこへ。指揮者との間にも、グールドとバーンスタインの何十年も前の録音で聴く、創造的摩擦という感じがないのだ。このハイシーズンで、忙しすぎるのだろうか。

急いで付け加えれば、交響曲第3番はよかった。最初からテンポを揺らすのも、私には好ましいように思え、切れ味鋭い弦(vn)とモチベーションの高い木管群に感心した。フィナーレでは、スタッカート気味に強拍を強調して、ものすごいドライヴ感を出していた。

興行として成立することは至上命題。にしても今日は6~7割の入り。こんな企画を続けていたら、次はもっと……。

2009/10/21(Wed)
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加藤和彦 あの頃、マリー・ローランサン

20051117.jpg 20091019.jpg

2005年11月17日に書いた日記。と、友人の青木さんとのダイアログ。忘れないように転記。

---
今日が解禁日、ボジョレーヌーヴォー(ジョルジュ・デブッフ=左、モメサン)を購入。ちょいと冷やすと良いのかもしれないけれど、いいや寒いし、そのままで。さっそくモメサンのほうを開栓。酸味が強くてフルーティ。なかなかいけます。

ふと思いついて、懐かしいアルバム、加藤和彦の「あの頃、マリー・ローランサン」を取り出してターンテーブルに乗せてみた。「君」と「僕」のノンシャランな日々を歌う歌詞が、当時はやけに“大人”に聞こえたもの。

当時というのは1983年。NHK-FMのサウンドストリート(坂本龍一がDJの日。このアルバムにはアレンジで参加)で初めて聴いた。場所は高校の修学旅行の宿泊先、山口県萩市のホテル。ませた高校生だ。

歌詞を書いた加藤さんの奥様、安井かずみさんは、何年も前に亡くなってしまった。かずみさんの生前はきっと、2人で絵や芝居を見に出かけたり、ワインを選んだり、季節を感じながら着る服を選んでいたりしたのだろう。そんな生活に憧れたものだなあ。

あの頃、マリー・ローランサン

青木
2005年11月17日 22:42
懐かしいなあ。

 去年のブルゾンの、袖などまくり上げて、
 オープンし立ての、キャフェを覗いたり、
 日曜日は、二人だけで、過ごしたもの

歌詞思い出したら、なんか泣けてきたよ。

これと大林宣彦の「四月の魚」という映画(高橋幸宏主演)には、生活の仕方の面で結構影響されたなあ。今となっては、ちょっと恥ずかしいけれど。

加藤・安井夫妻とは、東芝EMIから出た「Alice」というCD-ROM(絵が金子國義、音楽が加藤和彦)を仕入れて卸していた会社に所属していた関係で、なにかの賞の受賞パーティで一度会ったことがある。加藤和彦が天井まで届くような長身に見えたのと、「Alice」のプロデューサーの前田さんという人が感極まって泣いたのを安井かずみが宥めていたのをよく覚えている。これもももう、15年くらい前の出来事だ。

Woo
2005年11月17日 23:05
青木さん、歌詞の引用をありがとう。

そういえばAliceというCD-ROMがあった。金子國義さんが絵。ついに観たことはなかったのだけれど。加藤・安井夫妻と会ったんだね。かずみさんの死後、加藤さんは別の女性と恋愛したらしく、その経緯を読んで、ちょっと残念な気持ちになったりもした。「四月の魚」は観てないなあ。機会があったらチェックしてみます。

このアルバムと、先立つヨーロッパ三部作のCDを大人買いしたくなった。LPは全部うちにあるんだけど。

青木
2005年11月17日 23:32
「四月の魚」は、大林作品の中ではすこぶる評判が悪いので(笑)、あまり期待しないように。期待しないで観ると、和製ハリウッド風味みたいな軽さが楽しめると思う。

この映画は、ちょっとうらぶれた中年男(ほされた映画監督=高橋幸宏。今の我々よりはずっと若いんだけど)が、ふとしたハプニングで若い女優の卵と一瞬淡い恋に落ちるという話なんだけど、仄かに切ない感じとディテイルの洒落た感じのバランス感が、日本映画には珍しくよいと思うんだけどなあ。

物持ちよいね>LPは全部うちにある。
俺は(ミカバンドも含めて)だいぶ前に全部売ってしまった。

Woo
2005年11月18日 00:11
>あまり期待しないように。期待しないで観ると、和製ハリウッド風味みたいな軽さが楽しめると思う。
OK、レンタルで観てみます。了解。

> 物持ちよいね>LPは全部うちにある。
あるんです、物持ちがいい。^^ いま、Papa Hemingwayを聴いてます。この次も…、寝られなくなりそう。

青木
2005年11月18日 10:56
ちなみに、調べてみたら1986年作品だった>四月の魚

「パパ・ヘミングウェイ」が1979年。中学・高校生から20歳前後か。なんというか、そういう時期だねえ^^。

Woo
2005年11月18日 11:46
> そういう時期だねえ^^。
パパ・ヘミングウェイは、兄貴が買って、聴いたのは中学生の頃だったかなあ。

その後、ヘミングウェイの小説をけっこう読んだ。それらや音楽の興味が高じて、キューバに行ったし、パリ~マドリードのドライブも実現した(「日はまた昇る」の真似)。「ヴェネツィア」というアルバムもよく聴いて、実際に二度旅行した。それらの原点が加藤和彦にあったのかと、我がことながら驚いた。タンゴを聴くようになったのも、ヨーロッパ三部作の影響かも。

青木さん、昔話に付き合ってくれて、ありがとう。


2009-11-06 - ビーイング・ギドン・クレーメル

2009/10/19(Mon)
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ピエール=ロラン・エマール

20091018_aimard.jpg

2009年10月18日(土)19:00
ピエール=ロラン・エマール
ピアノ・リサイタル
東京オペラシティコンサートホール(1階7列14番)

ドビュッシー:ベルガマスク組曲(4'24/4'04/5'08/3'35)
ベンジャミン:ピアノ・フィギュアズ
シュトックハウゼン:ピアノ曲IX(11'13)
ベートーヴェン:「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 作品35(序奏2'58/主題0'44/第1変奏0'40/第2変奏0'55/第3変奏0'43/第4変奏0'43/第5変奏0'51/第6変奏0'44/第7変奏0'41/第8変奏0'47/第9変奏0'45/第10変奏0'44/第11変奏0'44/第12変奏0'44/第13変奏0'44/第14変奏1'14/第15変奏5'19/フーガ2'27/コーダ2'30)
(アンコール)
リゲティ:ムジカ・リチェルカータ 第1番(2'39)
クルターク:「子供の戯れ」から 第2番(3'11)
シューベルト:3つのレントラー D.?(4'14)
シェーンベルク:6つのピアノ小品 作品19(5'04)
ブーレーズ:「ノタシオン」より4曲(2'08)
ショパン:子守歌 作品57(4'27)


午後から発熱。インフルエンザの検査では幸い陰性。扁桃腺もしくはリンパ腺の腫れ。陽性なら(もちろん)外出を控えようと思ったが、解熱剤と抗生物質を飲んで出かけることに。開演が夜でよかった。マスクがうっとうしい。

ドビュッシー。前奏曲の入り、穏やかで優しい表情。鼓膜の内圧が高まり、音にヴェールがかかっていたようでもある。20小節から25小節まで、pでE-Bとやるところの湿り気を帯びた粒子の細かな音は、曲の出だしの煌めきをフイッとオフセットしてしまうようである。この音楽もこの身体も実に精妙なバランスの上に成り立っていて、何か変調を来せば取り返しがつかないことになる。と、ふだんあまり考えないことを考えたりした。

メヌエット、イチ、ニイ、サンと、3拍子を足踏みしながら聴くと楽しい楽しい。ああ確かにこれは舞曲であるなあ。プログラムノートにある通り、エマールも舞曲と意識して弾いているのかな。続く月の光は、入るところの透明な響き、長いアルベジオを終えて主題が再現するところがたとえようもなく美しい。パスピエも踊り。全編通じて緩急緩急という組曲の構成をしっかり感じさせる演奏だった。素晴らしい。

ベンジャミン。初めて聴く。なんとチャーミングな曲。「いじわる」は本当に意地悪で酷薄な子ども。「歌」は子どもたちのユニゾンの唱和を聴くよう、後半のpppで細かい音がキラキラと鳴るのが美しい。「ひとりぼっち」のクロージングの音は寂寥感に満ち満ちて、エマールの曲の閉じ方の巧みさ慎重さは去年のリサイタルでも感じたことを思い出す。「曲がった角あたり」は、ふと、酒井俊が歌詞を肉付けして歌う野口雨情の「四丁目の犬」を想起させて、子どもの世界の奇譚は国が違っても相通じるものがあるのかなと思う。10曲ともシンプルな曲想でありながら、なかなかに奥深い連想を引き出して、よかった。

シュトックハウゼン。スコアを見たかったのだ。会場で売っていた。冒頭は8分の142拍子で、3つの和音を鳴らし、139回繰り返す。ffからf、そしてだんだんディミヌエンドしてpppp。ずいぶんと演奏者の裁量に任せられるところが多いようである。明らかにしようとしていたのは、何か大きな建物の構造。そんなふうに思えた。曲の終わり方、静けさ、今日のどの曲よりも冷たい肌触り。

ベートーヴェン。予習で聴いていたブレンデルの演奏に比べ、あっさり薄め。でも、そこにエマールらしさがある。よく仕立てられた服ならば、着崩したりアクセサリーを付けることはない。服を一番よく見せるために必要なのは、身体を磨き、背筋をシャンと伸ばすことである。均整のとれた演奏。演奏時間を見てもわかる。フーガがすごい。

アンコールはリゲティから。2曲めのクルターク、美しい最弱音、不協和音。シューベルトの舞曲で前半のテーマをリフレインして、シェーンベルクとブーレーズを並べ(皮肉な)、最後にショパンで落ちた。

終演後のサイン会、居並ぶ観客がCDを差し出すところへ、私はベンジャミンのスコアの中扉にサインをねだった。エマールはスコアを手に取ると私を見上げた。

2009/10/18(Sun)
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水戸室内管弦楽団

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2009年10月11日(日)14:00
水戸室内管弦楽団 第77回定期演奏会
水戸芸術館コンサートホールATM

ハイドン:交響曲 第7番 ハ長調 Hob.I-7「昼」(5'27/9'38/3'41/4'07)
ハイドン:ホルン協奏曲 第2番 ニ長調 Hob.VIId-4(6'40/6'18/3'43)
(ホルン:ラデク・バボラーク アンコール)
ロッシーニ:狩の集合地(2'03)
(休憩)
メンデルスゾーン:弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調(10'40)
シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲(9'41)
ドヴォルザーク:チェコ組曲 作品39(3'45/5'18/4'26/5'00/5'52)

(書きかけ)

2009-07-04 - メルクル;水戸室内管弦楽団

2009/10/18(Sun)
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アラン・ギルバート;ニューヨーク・フィルハーモニック、エマニュエル・アックス

photo_20091008.jpg

2009年10月8日(木)19:00
ニューヨーク・フィルハーモニック
指揮:アラン・ギルバート
ピアノ:エマニュエル・アックス
サントリーホール(2階LA2列13番)

リンドベルイ:EXPO(9'44)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(19'30/4'39/9'53)
マーラー:交響曲第1番 ニ長調(15'10/7'33/10'15/18'23)
(アンコール)
ステンハンマー:カンタータ「歌」より間奏曲(4'22)
スーザ:星条旗よ永遠なれ(3'26)


いやいやいや、ものすごいマーラー:第1番でした(弦はvn対向配置で16型)。

もしかしたらと思い帰宅して資料*を確認したところ、今からちょうど100年前の1909年12月16日と17日に、マーラー自身がニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して第1番のアメリカ初演を果たしたとある。そういうアニヴァーサリー的な意味合いもこのプログラムにはあったのかもしれない(当初予定されていた第3番から曲目を変更したのも)。

第1楽章、導入部を経て第1主題に入るところ。ppの低弦と木管をゆっくり控えめに、でも確実な歩みでやる。こんなやり方があるのか。世界がだんだん目覚め、光に溢れ、野辺を歩く孤独な散歩者の身中に生気が満ちていくようである。安い切符の座席にいたのが幸いして、ギルバートの並々ならぬ気迫、思い入れが、その身振りと表情から伝わってきた。

進むに従い、印象は少しずつ変わりもした。あまりに均整がとれた演奏なものだから、速く、高く、遠くへとばかりに、何かのスポーツの競技を見ているかのようである。オーケストラの圧倒的な機能を裏付けにして、楽想や主題ごとに部分最適をする。ところがそうすると今度は、作品そのものの弱点を浮かび上がらせてしまう。木に竹を接ぐような音楽の綻びを明るみに出してしまうようである。

ぼんやりそんなことを考えつつ聴いていたら、体格のいいギルバートがだんだんスポーツ選手に見えてきた。指揮者ばかりを見ていて、ホルン奏者が立ち上がるのを見逃してしまった。終楽章のコーダの総奏を指揮するところ、思いきり遠くに向けて投擲したのは、砲丸か、ハンマーか。D-Dと1オクターヴ下がって、重たい鉄の玉が地面に落ちて、エンド。

そういう気分でいたところ、アンコールの2曲目でスーザ:星条旗よ永遠なれ。そろそろ体育の日、運動会の季節。選曲はもちろん偶然だろうけれども、じんわり、温かく、笑えた。

* ニューヨーク・フィルハーモニック自主制作の箱ものCDセット“The Mahler Broadcast 1948-1982”に付属のブックレット、Mahler in New Yorkの122ページ

(アックス独奏のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番もたいそう面白かった。また後で加筆。)

2009/10/09(Fri)
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ロンドンからの音楽宅配便

2009年10月5日(月)19:00
ロンドンからの音楽宅配便~花岡伸子と仲間たち~
ヴァイオリン:タマーシュ・アンドラーシュ
ヴァイオリン:パトリック・サヴェッジ
ヴィオラ:ヘレン・カミンガ
チェロ:花岡伸子
サントリーホール ブルーローズ


ハイドン:弦楽四重奏曲 第64番(第79番)ニ長調 作品76-5
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 作品18-1
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13
(アンコール)
シューマン:トロイメライ

2009/10/05(Mon)
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ヴァレリー・アファナシエフ@トッパンホール

20091001.jpg

2009年10月1日(木)19:00
ヴァレリー・アファナシエフ
トッパンホール(I列4番)

フランツ・リスト:
詩的で宗教的な調べ S173(LW-A158)より「葬送」(11'30)
灰色の雲 S199(LW-A305)(3'01)
ノクチュルネ「眠れぬ夜、問い--そして、答え」S203(LW-A322)(2'11)
悲しみのゴンドラ(第2稿) S200/2(LW-A319b)(8'15)
不運 S208(LW-A312)(5'33)
ピアノ・ソナタ ロ短調 S178(LW-A179)(35'44)


難しそうな顔をしていたり、優しそうだったり。遠くを見つめていたと思ったら、恍惚としていたり。皮肉っぽかったと思えば、人懐っこかったり。最後のソナタ、音楽の表情がめまぐるしく変わった。

ソナタ第1部の中盤あたりから、その巧みな話術、舞台運びに身を任せればいいのだと心得た。次はどんな表情、どんな景色を見せてくれるのだろうと、ワクワクしながら聴いた。右手で弾かれる旋律はあまりにまぶしい光輝を放つので、音楽を受容するのは耳ではなくて目でないのかと、感覚を疑わせるような瞬間があった。

開演前に読んだプログラムノート(野本由起夫)には、「アファナシエフの演奏が異様に遅いテンポだということは、もはや周知であろう。リストのソナタなどは、アルゲリッチが26分以下で弾ききっているのに対し、アファナシエフはなんと42分もかかる」とあった。

アルゲリッチのディスクなら、うちに何枚もある。少なくともアファナシエフのディスクよりもたくさんある。リストのソナタなんて、でも、あったかな?

あったのだ。今日のソナタが始まったところで、それを思い出した。アルゲリッチのデビュー・リサイタルに入っている。速度が違いすぎて、同じ曲だと思わなかったんだ。ひとりで笑い出しそうになった。

昨夜はスクロヴァチェフスキ;読響のショスタコーヴィチ11。一夜明けて今日のリサイタル。アファナシエフの6月の公演はムソルグスキーの音楽劇で、ショスタコーヴィチのピアノ曲も演奏された。リストの曲は、今日のトッパンホールで1月に、ヴァレンティーナ・リシッツァによるリストの超絶技巧曲を聴いた。もしマインドマップを描くとしたら、太いツナガリが交錯している。

その他、都響とのベートーヴェン4も含め、今年は都合3度、アファナシエフのコンサートを聴いた。どの回も、この人でなければ成立しない音楽、演奏会であったと思う。ライヴでこれだけのオーラを出せる人はいるのか。

いた。今月17日、20日のピエール=ロラン・エマールを楽しみに。

2009/10/02(Fri)
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