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アラベラ・美歩・シュタインバッハー、シャルル・デュトワ;NHK交響楽団

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2009年12月12日(土)15:00
NHK交響楽団 定期公演
指揮:シャルル・デュトワ
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー*
ソプラノ:メラニー・ディーナー
アルト:ヤナ・シーコロヴァー
テノール:サイモン・オニール
バス:ミハイル・ベトレンコ
オルガン:小林英之
合唱:東京混声合唱団
合唱指揮:松井慶太
コンサートマスター:堀正文
NHKホール(2階R10列8番)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35*(18'52/6'47/10'33)
(アラベラ・美歩・シュタインバッハー アンコール)
クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース 作品6*(4'44)
(休憩)
ヤナーチェク:グラゴル・ミサ(3'18/3'25/6'25/12'00/6'15/5'12/2'48/1'40)


シュタインバッハーが出てくると、「まあ、きれい……」と、まるでオバさんのような独り言が喉元まで出かかった。鮮やかなブルーグリーンのロングドレス。生地はシルクサテンだったろうか。バスト下あたりにあるベルトが、背の高さ、脚の長さ、ヒップ位置の高さを強調して、それだから第一主題Moderato assaiのところをやさしく弾きはじめると、近づいてきたリフトに軽く腰を乗せ、重力もものかは地面からフイっと浮き上がるのを見るようだった。

旋律をレガート気味に歌うのが特徴的で(この曲はチョン・キョンファの録音をリファレンスにしているから余計に)、ああ、こういうやり方をする人だったなと思う。思えば昨年聴いたベルクの感想でも似たようなことを書いていた。

美しい弱音を放っていたヴァイオリンは、次第しだいに熱を帯びた節回しに高まって、顎~肩~手首~弓と弦が形作る多角形の運動によって実にさまざまな音色と強さの音を生み出した。こういうイメージを抱いたのも、腕の長いシュタインバッハーならでは。楽器演奏の成果とはつまるところ身体運動の成果であって、スポーツに似たところがあるからだと思う。

第2主題の最後を上げ弓で力強く弾ききったところに、この人の弓使いの独特さがあらわれていたし、カデンツァに入って12連符の重音をグリッサンドしながら駆け下りるところ(2回)など、たいへんな説得力をもって私には響いた。

第2楽章の木管との絡みもすばらしい。ここはN響の美点ではなかったかと思う。第3楽章、これは舞曲ですよと言い含めるような第1主題を、一度めはじっくりと、二度めは浮き立つように演った。

アンコールピース、クライスラーの曲であることは不勉強で知らなかったが、チャイコフスキーの協奏曲の40分くらいかけて歌われる歌の、縮小版を聴くかのようだった。曲名を紹介したときの美しい声。残念ながら日本語ではなかったけれど、これも記憶にとどめておきたいので書いておく。

シュタインバッハーはたしかショスタコーヴィチを録音していたのではなかったかと思い出し、帰りにCD売場に立ち寄ったところ、ベルクとベートーヴェンのCDが目に留まった。ああ、そうなのか。この人を知ったのは一昨年N響アワーで放送されたベートーヴェン、実演を聴いたのは昨年のベルクなので、それを買って帰った。

ライナーにあるシュタインバッハーの父への献辞がすばらしい。英訳されたものを試しに日本語に訳出してみます。

---
愛する父へ

物心ついたころから、私の育った家にはいつも音楽があふれていました。そこは、父が歌手の方々とともにさまざまなオペラ作品を練習する稽古場だったのです。父の愛器はベーゼンドルファー。幼かった私はそのピアノの下に潜り込み、好奇心いっぱいで音楽に聴き入っていたものです。

父は長年、バイエルン国立歌劇場で仕事をしていました。カルロス・クライバーやヨゼフ・カイルベルトのいた時代です。オペラは父の人生そのものでした。声楽を学ぶために日本からミュンヘンへ留学してきた母と出会ったのは音楽を通してでしたし、私を「アラベラ」と名付けたのもオペラ作品にちなんでのことです。

両親は私が3歳の時に子供用のヴァイオリンを与えてくれました。私はすぐにこの楽器の虜になりました。楽器を学ぶ私にとって、父の存在はたいへんありがたいものでした。父はどんなスコアでも初見で演奏することができましたので、一緒に練習しながら、私はヴァイオリンのレパートリーをマスターできたのです。実際にレッスンを受けたというわけではありませんが、父からは本当に多くのことを学びました。

今から半年前、父は深刻な病気にかかっていると宣告されました。それでも父は全力で病と闘い、最後の最後まで人生を楽しむ気持ちを忘れませんでした。亡くなる3日前まで、私と一緒にモーツァルトのト長調のヴァイオリン・ソナタを演奏していたのです。まるで、最も効果のある薬は音楽である、と言わんばかりに。

ベルクとベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトも、2人で何度となく演奏した曲です。これ以上ないくらいに性格の異なる2曲ですが、どちらも私にとって、この世のものと思えない作品です。

この録音を、私の人生で最も大切だった人、父に捧げます。

アラベラ・シュタインバッハー
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2008年11月の録音。ということはつまり、彼女はお父さんを亡くした後、お母さんの生まれた日本に来てベルクのコンチェルトを演奏し(2008年9月27日)、ドイツに帰ってからベートーヴェンのコンチェルトとあわせて録音したということになる。

演奏家や音楽とこういう出会い方をすると、後々までついて回ることになりそうだ。翌日の日曜日、このCDを繰り返し聴いた。

(ヤナーチェク:グラゴル・ミサの印象は、このソリストの演奏で少々弱まってしまった。でも、私はこの曲が好きだ。)

2008-09-27 - シュタインバッハー、スダーン;東響

2009/12/13(Sun)
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ワレリー・ゲルギエフ;マリインスキー歌劇場管弦楽団、デニス・マツーエフ

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2009年12月1日(火)19:00
マリインスキー歌劇場管弦楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ:デニス・マツーエフ*
トランペット:ティムール・マルティノフ*
サントリーホール(2階RD6列6番)

ショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」より第2幕の間奏曲(2'51)
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 ヘ短調 作品10(8'31/4'17/8'39/9'12)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35*(5'29/7'40/7'19)
(デニス・マツーエフ アンコール)
シチェドリン:ユモレスク(2'06)
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ホ短調 作品93(23'28/4'13/12'16/13'09)


時間が遅くなってしまった。今日はプログラムの誤りを書き留めるだけにしよう。

評論家東条碩夫氏によるプログラム・ノート、「鼻」第2幕の間奏曲のふたつめに言及しているようだが、本日演奏されたのはひとつめの間奏曲(パーカッションのみによる)。誤りというより、指揮者による印刷後の変更、かな? それにしても、あんなけったいな演奏をするとは……!
(また、あとで続く)

2009/12/02(Wed)
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ワレリー・ゲルギエフ;NHK交響楽団、アレクサンドル・トラーゼ

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2009年11月30日(月)19:00
NHK音楽祭2009
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ:アレクサンドル・トラーゼ*
NHK交響楽団
NHKホール(1階R9列6番)

芥川:弦楽のための三楽章(トリプティーク)(3'59/6'02/3'03)
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26*(9'41/10'30/10'06)
(休憩)
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74(18'48/7'06/8'34/10'40)


切符を手配したのがたしか2月。ずいぶん先と思っていたら、過ぎてみれば早いこと。HNK音楽祭2009の4回の公演、バレンボイム(引き分け)、ヤルヴィ(負け)、シャイー(勝ち)の1勝1敗1分で臨んだ最終日、ゲルギエフ;N響の演奏は圧倒的な勝利で勝ち越しでした。

チャイコフスキー、第1楽章、山崩れか地響きかというくらい。第2楽章、弦のピチカートなんて潰れてしまうくらいの総奏。第3楽章、第1ヴァイオリンとピッコロの合奏のエッジの立て方、けっこう細かな目配せもしながら。ティンパニ、大太鼓、シンバルの炸裂。特に太鼓は大砲の音を聴くようだ。フィナーレ。ゲルギエフのかき回し方がすごい、すごい。

たいへんな名演。チャイコフスキーの曲の、正しい演奏だったのだろうと思う。しかし私は、チャイコフスキーのシンフォニーはもういいや、好んで聴きにいくことはないだろうなあ。

11月、1カ月13本の修行のようなライヴ通いがこれにて一段落。ちょっと大変でした。

2009/12/01(Tue)
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内田光子

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2009年11月27日(金)19:00
内田光子 ピアノ・リサイタル
サントリーホール(2階P2列15番)


白状するけれども、私はこれまでモーツァルトのK310を2種類しか聴いていない。ひとつはグレン・グールドの1969年の録音、そしてもうひとつは、この日の実演である。だから、どんなふうな演奏だって新鮮な驚きに満ちている。

この日、バッハの対抗にはクルターグの音楽があった。いや、対抗にあったと言うより、クルターグの音楽の効果を引き出すために、バッハの音楽がダシに使われていたような趣もあった(「秩序」のシンボルとして)。

翌日に観たベルギーのダンスカンパニー、ローザスのプログラムで、バッハの「フーガの技法」の終曲が取り上げられていた。この日のコントラプンクゥス1と見事に呼応する。まったく由来の異なる関心から切符をとった2日続きの公演が、こんなふうな偶然で結びつけられていいものか、とびっくりした。

休憩時間に、吉田秀和さんをロビーで見かけた。7月の水戸室内管弦楽団の定期演奏会で後ろ姿を見かけて以来である。娘さんらしきご婦人と一緒で、お元気そうな様子だった。私はすっかり嬉しくなってしまった。後半はPの自席から1階席の後方に吉田さんの姿を見ながらシューマンの幻想曲を聴いた。

翌日、深夜に帰宅すると、テーブルの上に朝刊の切り抜きが載っていた。今年最後の吉田さんの「音楽展望」の連載。「年と共にますます出不精になってくるが、今年は2回東京に出掛けていって音楽会のいすに座る喜びを持った」(朝日新聞、2009年11月28日朝刊)とある。

その衰えない好奇心に感服しつつ、吉田さんなら、この日の内田光子のすばらしい演奏を聴いて、どのような感想を持ち、どのような言葉で表現するだろうと思った。


●演奏曲目
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310(8'21/10'16/3'04)
クルターグ:Fisのアンティフォニー(『遊び』2から)(1'01)
J. S. バッハ:フーガの技法 BWV1080からコントラプンクトゥス1(4'26)
クルターグ:ころがりっこ(『遊び』3から)(0'24)
クルターグ:肖像画(3)(『遊び』3から)(1'42)
クルターグ:泣き歌(2)(『遊び』3から)(0'45)
クルターグ:クリスティアン・ウォルフを想って(うつらうつらと)(『遊び』3から)(1'28)
J. S. バッハ:フランス組曲第5番 ト長調 BWV816からサラバンド(4'26)
クルターグ:終わりのない遊び(『遊び』3から)(1'48)
モーツァルト:ロンド イ短調 K511(11'00)
(休憩)
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17(12'50/7'40/13'08)
(アンコール)
シューマン:謝肉祭 作品9より告白(ヘ短調)(1'09)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 作品109より第1楽章(4'12)


2009-11-28 - ローザス『ツァイトゥング』

2009/11/30(Mon)
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内田光子

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2009年11月24日(火)19:00
内田光子 ピアノ・リサイタル
サントリーホール(2階P7列37番)

モーツァルト:ロンド イ短調 K511(10'54)
ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1(10'58)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 作品101(4'57/6'34/11'00)
(休憩)
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17(12'48/7'39/13'08)
(アンコール)
シューベルト:即興曲 変ト長調 作品90-3 D899-3(5'53)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310から第2楽章
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K330から第2楽章(6'42)


憂愁の淵に沈むモーツァルト。師の弦楽オーケストレーションを模倣するベルク。なおもフーガをピアノ曲に埋め込もうとするベートーヴェン。

作曲家の書法の違いを弾き分けながら、その境涯や性格まで見事に描き分けていたようで、知的満足度の高い前半だった。

時代を隔てた諸作品を一晩のプログラムに並べるという点で、ピエール=ロラン・エマールのリサイタルに近い印象をもつかと予想していたけれど、まったく違った。エマールはバッハやベートーヴェン、ベルク、その他、現代作品の形式上の通時性に光を当てようとするのに対し、内田は作曲家のより属人的な何かに肉迫しようとしているように思えた。たとえば、Aという作曲家は憧れをこう表現する、Bという作曲家は悲しみをこう表現する、と。反語のようだけれど、だからこそ解釈の純度は高く、演奏者の存在は水か空気のようになる。

しかし、そんなことより、特筆すべきは弱音の美しさ。大切なこと、本当のこと、ここだけの秘密は、小さな声で語られる。モーツァルトのロンドの最初のEの最弱音。それがもう一度繰り返されるとき、わずかにわずかに強くなった。制御する意志の強さと固さと裏腹に、音は静寂からそっと生まれ出てきて静寂に還る。これが音楽の真髄なのであるなあ。

あとは、呼吸。シューマンの第1楽章の終盤、Adagioのピアニッシモで、C-F-E♭、E♭-D(フェルマータ)、そしてスーッ!と鋭く息を吸って、勢いよくDDと低音を叩き付けたところ。このあたりの呼吸、間合いは、もしかしたら湯浅譲二が「能の謡の呼吸」「音楽ならではのnarrative」と言うのと通底するのではないだろうか。
(シューベルトBOXの内田のポートレートは能面のようだ。ちなみに。)

そのシューマンの音楽は、聴く者の体内にもおのれの呼吸とともに染み入ってきて、最終楽章はもう少しで泣くところだった。

こういう演奏をする人は、登り詰めたと思えばまた新たな峰を見つけ出し、余人が与り知らない高みに挑むのだろうな。磨き抜かれたタッチを聴き、ピンと伸びた背筋を見て、管見から推測するばかりだが。

また金曜日を楽しみに。

2009/11/25(Wed)
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ヘルベルト・ブロムシュテット;チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

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2009年11月23日(月・祝)19:00
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
サントリーホール(2階RA1列19番)

ブルックナー;交響曲第8番 ハ短調 WAB.108(ハース版)(14'25/13'44/26'17/20'47)


ブルックナー苦手克服シリーズ、今年の第3ラウンド。スクロヴァチェフスキ;読響の9、シャイー;ゲヴァントハウス管の4に続いて。今晩の演奏を聴いて苦手意識はずいぶん薄らいだかな。この長ったらしくもっさりした音楽を、スコアの音符を追いながら聴いているうち、少なくとも退屈だとは思わなくなってきた。

チェコ・フィルは、マタチッチ指揮(ブルックナー7番)の録音が初学者の私にもわかりやすく、ブルックナーへのよいイントロだった。もう2年近く前のことだけれど。

どの楽章のどこがと今日は細かく書き残すことはできないので、印象に残った場面を走り書き。第1楽章、393小節からの「あきらめ」を、ブロムシュテットはひときわ丁寧に演奏した。第2楽章、トリオ後半の低弦の暗い響きは、マタチッチの録音で聴いたそれ。Da capoした後のスケルツォは1回目とずいぶん細かくニュアンスを違えて奏されたように思う。Adagioの前半で第2ホルンがソロを終えると、隣りの第1ホルンの人が「よくやった!」とばかりに膝を叩いて“拍手”をしたところで、楽員たちのモチベーションの高さを感じた。壮大なフィナーレを聴きながら、ふと「マーラーはこの曲を指揮したのかな?」と気にかかり、帰宅して資料を調べたら、指揮していなかった(『マーラー事典』立風書房、P. 136を見る限り)。

ホルンを中心とする金管、木管(特にフルートがすばらしい!)、言うまでもなく弦。豊かでコクのある響きだった。ブロムシュテットはN響アワーにしばしば登場するので、初めて観る気がしないのだが、安い席だったおかげであらためて指揮ぶりを堪能できた。背筋をシャンと伸ばし、まったく迷うところがない。82歳、すごいな。

終演後のサイン会。手持ちのスタディースコアはノーヴァク版。ハース版を演奏する指揮者にこれを差し出してよいものか、しばらく迷ったが、いたずら心で本の見返し部分を指定した。果たしてブロムシュテットは版をチェックした。スクロヴァチェフスキと同じだ、面白い。ハース版のスコアは、来年3月に再び8番をスクロヴァチェフスキで聴くときまでに入手しよう(2010年3月25日はインバル;都響も同じプログラムをやる特異日)。

今日の弦5部は14-14-12-10-8(vnは対向配置)。ハープは2(舞台上手)。

---
今日は昼から茅ヶ崎の友人宅に。日没前の海岸で、三日月と烏帽子岩。長かったけれど楽しい1日だった。

2009/11/24(Tue)
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エリアフ・インバル;東京都交響楽団、半田美和子

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2009年11月19日(木)19:00
東京都交響楽団
第688回定期演奏会
指揮:エリアフ・インバル
ソプラノ:半田美和子
ソロ・コンサートマスター:矢部達哉
サントリーホール(2階C5列23番)

ラヴェル:シェエラザード(9'05/2'52/3'37)
マーラー:交響曲第4番 ト長調(16'13/9'47/18'55/8'42)


マーラー(弦5部16-14-12-10-8)。出だしの人を食ったような3小節。スコアでは上段から、

(1)第1と第2フルートがポコ・リタルダンド
(2)第3と第4フルートがインテンポでpまでディミヌエンド
(3)第1~第3クラリネットがディミヌエンドしながらポコ・リタルダンド
(4)鈴はppのまま強弱を変えずにインテンポ
(5)第1ヴァイオリンがpで始めてウン・ポコ・リタルダンドしながらクレッシェンド

3小節目で木管(1)(2)がはらはらとこぼれ、鈴(4)の金属音の残響とクラリネット(3)が減衰していくところ、やけに表情豊かなヴァイオリン(5)がgraziosoで立ち上がってくると、音楽の成り行きをすっかり変えてしまう。決めてしまう。

いくつか持っている録音の大半は、この3小節目の鈴パートをリタルダンドかディミヌエンド、またはその両方をする。聴いた中でスコアにもっとも忠実なのはシャイー(吉田秀和さんは「正確精密」と表現する)、その次はハーディング。

私の耳では一度にすべてを聴き分けることができないので、インテンポの鈴に注意して聴くことにした。果たしてインバルは3小節目でリタルダンドした。スコアに指定がないから、ここはそういう解釈ということになろう。

なぜだかわからないが少しショックだった。そうこうする間に10小節目でホルンの音がひっくり返った。ここらがもう躓きの石である。

その他の各パート各パートは(太書きするが、ホルン以外は)、きちんと仕事をしていたのではないかと思う。しかしそれだけでは説得されないというか、全体としてめざす音楽はこれなのだというのが伝わってこない。たとえば練習番号19の11小節は、同20のfffに向けてものすごいスピードで疾走した。冒頭からの細部の積み上げを経てなら納得し感心もしようが、それなしでは「どうしてそこまで急いで?」と感じてしまう。

先日のシャイー;ゲヴァントハウス管のマーラー1では、細部の「正確精密」な作り込みが徹底していて、それでいて音楽の自然な流れを妨げず、たいへんな効果を上げていた。それと比較すると、客演指揮の限界というのはあるのかなあ、と思ったり。

収穫だったのは、第2楽章、vn2挺を持ち替えての矢部の熱演。そして第3楽章冒頭のva、vc、cbによるカンタービレの豊かな響き。第4楽章の半田美和子の歌は美しかった。しかし、残念ながら歌を十分に楽しむには、2階席では遠すぎた。

天井から録音用のマイクが垂れていたので、この演奏もCDになるのだろうか。録音で聴いたらまた違った印象を持つかもしれない。3月のチャイコフスキー5番も、実演ではあまりにドライな演奏で唖然としたものだが、出たばかりのCDを会場で買って帰って聴いたらものすごいので驚いた。

ああそうだ、ラヴェルのシェエラザード。録音で聴いたアンセルメ;スイス・ロマンド管ではちょっと恥ずかしくなるような東洋風味があったけれど、その点がうまく緩和されていてよかった。3曲目の冒頭で木管と弦がたいへん美しくブレンドして、羽根布団に横たわるような心地よさを感じたところ、い~いタイミングで隣のおじさんが鼾をかきはじめた。グー、スピー。

2009/11/22(Sun)
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クリストフ・アーバンスキ;東京交響楽団、ペーテル・ヤブロンスキ

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2009年11月14日(土)18:00
東京オペラシティシリーズ第52回
東京交響楽団
指揮:クリストフ・アーバンスキ
ピアノ:ペーテル・ヤブロンスキ*
コンサートマスター:大谷康子
東京オペラシティ(1階24列26番)

キラール:オラヴァ~弦楽オーケストラのための(9'23)
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21*(14'18/9'49/8'45)
(ペーテル・ヤブロンスキ アンコール)
ショパン:マズルカ第47番 イ短調 作品68-2*(2'57)
(休憩)
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」(11'18/11'22/7'55/11'10)


いただきものの切符で、久しぶりの東響。ドヴォルザークの「新世界より」は、先日のヤルヴィ;シンシナティ響でもそうだった。退屈。

しかし、ショパンのピアノ協奏曲がすばらしい曲であることを知った。これは楽しい発見で、次の機会を楽しみにしたい。キラールのオラヴァは、「タータタ、タタタタ」というvnのオスティナートで始まり、変奏しながら発展するうち、弦楽合奏のさまざまな響きの可能性が試されるといった趣向の曲。オケの弦の美質が活かされていて、この日の一番の収穫だった。

今回が初来日という指揮者のアーバンスキ(Urbanskiだからウルバンスキ?)、26歳。若い。若いのだから、今度はもう少しchallengingなプログラムを聴けるといいな。ピアノのヤブロンスキは柔らかなタッチの人で、協奏曲だと真価がよくわからないのではないかと思った。こちらもまた別の機会があればいい。

2009/11/16(Mon)
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諏訪内、ソヒエフ;トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団

2009年11月10日(火)19:00
トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団
指揮:トゥガン・ソヒエフ
ヴァイオリン:諏訪内晶子*
サントリーホール(2階LD1列3番)

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(10'06)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77*(23'07/8'37/7'47)
(諏訪内晶子 アンコール)
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003よりアンダンテ*(3'53)
(休憩)
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲 「展覧会の絵」(31'21)
(アンコール)
チャイコフスキー:くるみ割り人形より「パ・ド・ドゥ」(4'39)
ビゼー:カルメン 第3幕への間奏曲(2'56)
ビゼー:カルメン 序曲(1'56)


明るく、華やか、きらびやか。先週2度聴いたシャイー;ゲヴァントハウス管の音とは明らかに違う響きのするフランスのオーケストラ。時折、軽すぎるのではないかと思うくらい。

だから、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲という選曲は、よくわからない。KAJIMOTOワールドオーケストラシリーズのエコノミー通し券を取ったとき、まだプログラムが決まっていなかった。まずブッキングありきだったのかな。

諏訪内晶子、知に傾きつつも適度に情熱的で、歌を正しく崩さず歌う。艶かしい印象もある。特に私は第2楽章アダージョが気に入った。高音へ上り詰めていくときの儚げながらも芯の強い音、グリッサンド、上げ弓。95小節から98小節あたりのソロ、オーボエがその後を追って出てくるあたりが印象に残った。いつか機会があればリサイタルを聴いてみたい。

ムソルグスキー:展覧会の絵は、ロシアの音楽という感じがまったくせず。6月のアファナシエフの音楽劇以来、この曲はその体験が唯一無二のものと洗脳されたような心持ちでいるので、ラヴェルの編曲のありがたみは未消化のまま。

本編よりもアンコールの3曲で、この日のオーケストラは一番のびのびとしていたように聞こえた。劇場付きのオーケストラでもあるからなのかな。

2009/11/11(Wed)
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ビーイング・ギドン・クレーメル

2009年11月6日(金)19:00
ビーイング・ギドン・クレーメル
The Rise & Fall of the Classical Musician
~クラシック音楽家の栄枯盛衰~
ギドン・クレーメル(vn)
イグデスマン(vn)&ジュー(pf)
クレメラータ・バルティカ
Bunkamuraオーチャードホール(1階4列4番)


音楽のない人生はどんなものだろう。想像できますか――この夜、ギドン・クレーメルが提出していた「問い」。

世間はもう音楽を必要としていないのではないか――加藤和彦の遺書にあったという「問い」(引用は正確でないかもしれない)。

それらの「問い」は音楽家の真率な問題意識から絞り出された叫びのよう、二様の苦みはコインの裏表のようである。今も頭の底に響いている。時間がたつほどに重みを増す。

ふたりは同じ1947年生まれ。ひとりは首を吊って死に、ひとりは自らの半生をコメディによせて回顧するショーを届けてくれた。

イザイの「子供の夢」に始まり(クレーメルの西側デビューが示唆された直後だから、これが今につながるキャリアの始まり、と言ってもいいのかな)、マーラーの交響曲第10番で本編は終わった。

音楽的な聴きどころは本当にたくさんあった。当日の会場では、涙が出るほど笑って楽しんだ。でも、その気分をうまく書き残すことができない。残念ではある。

この日は同行の友達がいた。彼女は加藤和彦と対談したことがあり、ロンドンのビスポークテイラーにまつわる面白いエピソード*を、加藤和彦その人から聞いたという。そのまんま「あの頃、マリー・ローランサン」の世界であるなあ。
(* サヴィルロウで仕立てたシャツに綻びか何かができて、修理してもらおうとロンドンに送った。しばらくのち、自宅の呼び鈴が鳴ったので出てみると、外国人が荷物を手に立っている。修理のすんだ1枚のシャツを、わざわざロンドンから持参したというのである。その男は茶で一服はおろか家に上がるのも固辞して去った。)

もうひとり、1947年生まれの音楽家がいる。ヴァレリー・アファナシエフ。旧ソ連からの“亡命組”のピアニストで、詩人。アファナシエフについて書かれた浅田彰の文章。

浅田彰【アファナシエフと再会する】(批評空間、2001年)
「ひとつ面白かったのは、ソヴェト体制下のロシアに対する評価が年とともに変ってきたという話だ。若い頃の彼は、ソヴェトを「地獄」と感じ、74年に西側へ亡命する。しかし、資本主義による文化の大衆化がとめどもなく進む現在から振り返ってみると、ソヴェトはむしろ「煉獄」であり、その中で高い水準の文化が緊張感をもって生きられていたと言うべきではないか。それを一概に否定することはできないのではないか。」

ソ連は地獄でなく煉獄。若きグレン・グールドが1957年にソ連を訪ねたときも、もしかしたら、そこはそんなふうな場所と映ったのかもしれない。ふと、そう思ったりした。

煉獄(プルガトリオ)とは、本編2部最後に演奏されたマーラーの第10番の、第3楽章についている標題である。

ここに名前を挙げた音楽家を、私は全面的に支持します。その音楽を聴きつづけます。それが私の答えである。

●演奏曲目(掲出されたセットリストを写したどなたかの写真をタイピング、記憶を頼りに適宜補足した)
第1部「過去」
モリコーネ:マレーナ序曲(映画『マレーナ』より)
L. モーツァルト:おもちゃの交響曲より第1楽章
モーツァルト:交響曲第40番より第1楽章~バリー:ジェームズ・ボンドのテーマ
イザイ:子供の夢 作品14
J. S. バッハ(グノー編曲):アヴェ・マリア~ピアソラ:リベルタンゴ
ロックバーグ:カプリース変奏曲
プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタより第3楽章
イグデスマン:テ・キエロ・コモ・ロコ
スクリャービン:ピアノ小品
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番より~Eric Carmen: All By Myself
J. S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 第3楽章ほか
ブリテン:フランク・ブリッジの主題による変奏曲 第7変奏(無窮動)
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 第1楽章(カデンツァ:シュニトケ)ほか

第2部「現在」
ロータ:8 1/2(映画『8 1/2』より)
シューベルト:メヌエットよりトリオ
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハト・ムジークより
シュトラウス:美しき青きドナウ
ハイドン:地震(十字架上のキリストの最後の7つの言葉)より
ドヴォルザーク:エレジー(4つのロマンティックな小品)より
ピアソラ(デシャニコフ編曲):ブエノスアイレスの春
クラシック有名曲メドレー(メンデルスゾーン~ベートーヴェン~ブラームス~パガニーニ~ベルク~バッハ~ヴィヴァルディ)
マーラー:交響曲第10番 アダージョより
(アンコール)
Gloria Gaynor: We Will Survive (I Will Survive)~Europe: The Final Countdownほか


2008-09-25 - 井上道義、ギドン・クレーメル、OEK、クレメラータ・バルティカ
2007-06-20 - ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ

2009/11/06(Fri)
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