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Haiti / Caetano Veloso ハイチ / カエターノ・ヴェローゾ

カエターノ・ヴェローゾ&ジルベルト・ジルのトロピカリア2(1993年)に収録されている「ハイチ」(曲:Caetano Veloso & Gilberto Gil、詞:Caetano Veloso)。日本盤のライナーにある歌詞の対訳(国安真奈氏)をベタ打ちしておきます。問題がなくはないと思うけれど、ポルトガル語がわからず、歌われている内容を理解するのが難しい人(私自身も)のために。


ジョルジ・アマード記念館まで登ろうと
君が誘われたなら
ほぼ全員が黒い肌の兵隊の行列が
黒人のチンピラと 混血の泥棒と
黒人みたいに扱われているほとんど白い連中の首筋に
こん棒を振り下ろしている光景を
高みから見物できる
他のほとんど黒い連中(というのは、ほとんど全員が黒人だが)と
黒人のように貧しいほとんど白い連中に対して
黒人や、貧乏人や混血や
ほとんど白人や 余り貧しいのでほとんど黒人といった連中が
どのように扱われるかを
見せつけようというわけだ
世界中の目が
その一瞬
かつては奴隷たちがぶたれ
今は
中学の制服に身を包んだ子供達がパレードの日に見せる純粋さをもって
パドウッキの演奏が繰り広げられるこの広場に注がれようが
どうでもいいこと
形成途中の国民の英雄的な偉大さが
僕らを惹きつけ 揺さぶり 刺激する
二階家の輪郭 バラエティー番組のレンズ
ポール・サイモンのアルバム
なんであれ どうでもいい
誰も 誰もここでは市民じゃない
君がペロー広場の祭を見に行くのなら
いや 見に行かなくてもいい
ハイチのことを考えてくれ
ハイチのために祈ってくれ
ハイチはここだ
ハイチは ここじゃない

たかが一件の
容易で迅速な教育プログラムを
だが同時に 小学校教育における民主主義への脅威となりうる
教育プログラムを目の前にして
困惑を隠し切れずにうろたえる国会議員を
君がTVで見たなら
また その国会議員が死刑の採択を支持し
尊ぶべき司教が 胎児にはあれほどの魂を認めるのに
貧困から犯罪者となった者に認めないと言ったなら
そして 君が信号を無視する時に
あの 常変わらぬ古ぼけた赤信号を無視する時に
レブロンの街角で光るゴミ袋の上に
男が立ち小便をしているのを見たなら
111人の無抵抗な者に対する
大量虐殺を前にしたサンパウロの穏やかな沈黙を
聞いたなら…
しかし黒人は ほとんど全員が黒人か
あるいはほとんど黒人か
あるいは貧しすぎるが故にほとんど黒いほとんど白人であり
貧乏人は 腐ったゴミと同じで
誰もが 黒人はどのように扱われるのかを知っている
今 君がカリブを一周したなら
コンドームをつけずにファックしたなら
キューバ・ブロックに知的な参加を表明するなら
ハイチのことを考えてくれ
ハイチのために祈ってくれ
ハイチはここだ
ハイチは ここじゃない


Haiti (Música: Gilberto Gil e Caetano Veloso / Letra: Caetano Veloso)
caetanoveloso.bom.br - Haiti

2010/01/17(Sun)
CD | trackback(0) | comment(0) |


イザベル・ファウスト、ジェイムズ・デプリースト;東京都交響楽団

2009年12月18日(金)19:00
東京都交響楽団
第691回定期演奏会Bシリーズ
指揮:ジェイムズ・デプリースト
ヴァイオリン:イザベル・ファウスト*
ソロ・コンサートマスター:矢部達哉
サントリーホール(2階C5列23番)

シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調*(14'41/5'57/10'29)
(イザベル・ファウスト アンコール)
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004から第3楽章「サラバンド」*(3'08)
(休憩)
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版)(21'34/22'42/9'19/12'23)


イザベル・ファウストのヴァイオリン。その聴き心地、体内に鳴り響く感じは、どこか日常の体験と二重写しになった。宵の口から飲みはじめ、感覚を麻痺させる飴色の液体が、体の深いところ、下のほうへ下のほうへ重く沈殿していく。最弱音まで降りていく。そうやってなお美しい。

低音のしまり、中音のふくらみ、高音のかがやき。円やかで、ギスギスしない、ソプラノのコロラトゥーラのような軽やかな節回し。技巧を追いかけても人肌の温もりを保つ。私はファウストをブラームスの室内楽を収めた録音でしか聴いていなかったから、この演奏には本当に驚いてしまった。やはり録音では演奏家の真価はわからないものだな。弦5部は12-10-8-6-4。

ブルックナー7番。デプリーストはたいへん折り目正しい演奏という印象。fffの総奏でも余白を残す。「私のつくりたい音楽はわかっていますね?」「はい、もちろん!」。そういう指揮者とオーケストラの信頼感を感じた。それが魂を持っていかれるような感動につながるかといえば、また別の話ではあるが。

あまりnitpickingをしたくはないが、都響の金管セクションの人たちは、ステージに上がる以上、本当に、もうちょっと、がんばってほしい。聴くほうも精進しますから。

ブルックナー苦手克服シリーズの第4ラウンド。今年はこれで最後。弦5部は16-14-12-10-8。


(ファウストのアンコール曲。会場で掲出された「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番第3楽章」は誤り。サントリーホールのサイトでも訂正されています。)

2009-11-19 - エリアフ・インバル;東京都交響楽団、半田美和子

2009/12/21(Mon)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


アラベラ・美歩・シュタインバッハー、シャルル・デュトワ;NHK交響楽団

20091212-01.jpg 20091212.jpg

2009年12月12日(土)15:00
NHK交響楽団 定期公演
指揮:シャルル・デュトワ
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー*
ソプラノ:メラニー・ディーナー
アルト:ヤナ・シーコロヴァー
テノール:サイモン・オニール
バス:ミハイル・ベトレンコ
オルガン:小林英之
合唱:東京混声合唱団
合唱指揮:松井慶太
コンサートマスター:堀正文
NHKホール(2階R10列8番)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35*(18'52/6'47/10'33)
(アラベラ・美歩・シュタインバッハー アンコール)
クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース 作品6*(4'44)
(休憩)
ヤナーチェク:グラゴル・ミサ(3'18/3'25/6'25/12'00/6'15/5'12/2'48/1'40)


シュタインバッハーが出てくると、「まあ、きれい……」と、まるでオバさんのような独り言が喉元まで出かかった。鮮やかなブルーグリーンのロングドレス。生地はシルクサテンだったろうか。バスト下あたりにあるベルトが、背の高さ、脚の長さ、ヒップ位置の高さを強調して、それだから第一主題Moderato assaiのところをやさしく弾きはじめると、近づいてきたリフトに軽く腰を乗せ、重力もものかは地面からフイっと浮き上がるのを見るようだった。

旋律をレガート気味に歌うのが特徴的で(この曲はチョン・キョンファの録音をリファレンスにしているから余計に)、ああ、こういうやり方をする人だったなと思う。思えば昨年聴いたベルクの感想でも似たようなことを書いていた。

美しい弱音を放っていたヴァイオリンは、次第しだいに熱を帯びた節回しに高まって、顎~肩~手首~弓と弦が形作る多角形の運動によって実にさまざまな音色と強さの音を生み出した。こういうイメージを抱いたのも、腕の長いシュタインバッハーならでは。楽器演奏の成果とはつまるところ身体運動の成果であって、スポーツに似たところがあるからだと思う。

第2主題の最後を上げ弓で力強く弾ききったところに、この人の弓使いの独特さがあらわれていたし、カデンツァに入って12連符の重音をグリッサンドしながら駆け下りるところ(2回)など、たいへんな説得力をもって私には響いた。

第2楽章の木管との絡みもすばらしい。ここはN響の美点ではなかったかと思う。第3楽章、これは舞曲ですよと言い含めるような第1主題を、一度めはじっくりと、二度めは浮き立つように演った。

アンコールピース、クライスラーの曲であることは不勉強で知らなかったが、チャイコフスキーの協奏曲の40分くらいかけて歌われる歌の、縮小版を聴くかのようだった。曲名を紹介したときの美しい声。残念ながら日本語ではなかったけれど、これも記憶にとどめておきたいので書いておく。

シュタインバッハーはたしかショスタコーヴィチを録音していたのではなかったかと思い出し、帰りにCD売場に立ち寄ったところ、ベルクとベートーヴェンのCDが目に留まった。ああ、そうなのか。この人を知ったのは一昨年N響アワーで放送されたベートーヴェン、実演を聴いたのは昨年のベルクなので、それを買って帰った。

ライナーにあるシュタインバッハーの父への献辞がすばらしい。英訳されたものを試しに日本語に訳出してみます。

---
愛する父へ

物心ついたころから、私の育った家にはいつも音楽があふれていました。そこは、父が歌手の方々とともにさまざまなオペラ作品を練習する稽古場だったのです。父の愛器はベーゼンドルファー。幼かった私はそのピアノの下に潜り込み、好奇心いっぱいで音楽に聴き入っていたものです。

父は長年、バイエルン国立歌劇場で仕事をしていました。カルロス・クライバーやヨゼフ・カイルベルトのいた時代です。オペラは父の人生そのものでした。声楽を学ぶために日本からミュンヘンへ留学してきた母と出会ったのは音楽を通してでしたし、私を「アラベラ」と名付けたのもオペラ作品にちなんでのことです。

両親は私が3歳の時に子供用のヴァイオリンを与えてくれました。私はすぐにこの楽器の虜になりました。楽器を学ぶ私にとって、父の存在はたいへんありがたいものでした。父はどんなスコアでも初見で演奏することができましたので、一緒に練習しながら、私はヴァイオリンのレパートリーをマスターできたのです。実際にレッスンを受けたというわけではありませんが、父からは本当に多くのことを学びました。

今から半年前、父は深刻な病気にかかっていると宣告されました。それでも父は全力で病と闘い、最後の最後まで人生を楽しむ気持ちを忘れませんでした。亡くなる3日前まで、私と一緒にモーツァルトのト長調のヴァイオリン・ソナタを演奏していたのです。まるで、最も効果のある薬は音楽である、と言わんばかりに。

ベルクとベートーヴェンのヴァイオリン・コンチェルトも、2人で何度となく演奏した曲です。これ以上ないくらいに性格の異なる2曲ですが、どちらも私にとって、この世のものと思えない作品です。

この録音を、私の人生で最も大切だった人、父に捧げます。

アラベラ・シュタインバッハー
---

2008年11月の録音。ということはつまり、彼女はお父さんを亡くした後、お母さんの生まれた日本に来てベルクのコンチェルトを演奏し(2008年9月27日)、ドイツに帰ってからベートーヴェンのコンチェルトとあわせて録音したということになる。

演奏家や音楽とこういう出会い方をすると、後々までついて回ることになりそうだ。翌日の日曜日、このCDを繰り返し聴いた。

(ヤナーチェク:グラゴル・ミサの印象は、このソリストの演奏で少々弱まってしまった。でも、私はこの曲が好きだ。)

2008-09-27 - シュタインバッハー、スダーン;東響

2009/12/13(Sun)
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ワレリー・ゲルギエフ;マリインスキー歌劇場管弦楽団、デニス・マツーエフ

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2009年12月1日(火)19:00
マリインスキー歌劇場管弦楽団
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ:デニス・マツーエフ*
トランペット:ティムール・マルティノフ*
サントリーホール(2階RD6列6番)

ショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」より第2幕の間奏曲(2'51)
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 ヘ短調 作品10(8'31/4'17/8'39/9'12)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35*(5'29/7'40/7'19)
(デニス・マツーエフ アンコール)
シチェドリン:ユモレスク(2'06)
(休憩)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ホ短調 作品93(23'28/4'13/12'16/13'09)


時間が遅くなってしまった。今日はプログラムの誤りを書き留めるだけにしよう。

評論家東条碩夫氏によるプログラム・ノート、「鼻」第2幕の間奏曲のふたつめに言及しているようだが、本日演奏されたのはひとつめの間奏曲(パーカッションのみによる)。誤りというより、指揮者による印刷後の変更、かな? それにしても、あんなけったいな演奏をするとは……!
(また、あとで続く)

2009/12/02(Wed)
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ワレリー・ゲルギエフ;NHK交響楽団、アレクサンドル・トラーゼ

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2009年11月30日(月)19:00
NHK音楽祭2009
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
ピアノ:アレクサンドル・トラーゼ*
NHK交響楽団
NHKホール(1階R9列6番)

芥川:弦楽のための三楽章(トリプティーク)(3'59/6'02/3'03)
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26*(9'41/10'30/10'06)
(休憩)
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74(18'48/7'06/8'34/10'40)


切符を手配したのがたしか2月。ずいぶん先と思っていたら、過ぎてみれば早いこと。HNK音楽祭2009の4回の公演、バレンボイム(引き分け)、ヤルヴィ(負け)、シャイー(勝ち)の1勝1敗1分で臨んだ最終日、ゲルギエフ;N響の演奏は圧倒的な勝利で勝ち越しでした。

チャイコフスキー、第1楽章、山崩れか地響きかというくらい。第2楽章、弦のピチカートなんて潰れてしまうくらいの総奏。第3楽章、第1ヴァイオリンとピッコロの合奏のエッジの立て方、けっこう細かな目配せもしながら。ティンパニ、大太鼓、シンバルの炸裂。特に太鼓は大砲の音を聴くようだ。フィナーレ。ゲルギエフのかき回し方がすごい、すごい。

たいへんな名演。チャイコフスキーの曲の、正しい演奏だったのだろうと思う。しかし私は、チャイコフスキーのシンフォニーはもういいや、好んで聴きにいくことはないだろうなあ。

11月、1カ月13本の修行のようなライヴ通いがこれにて一段落。ちょっと大変でした。

2009/12/01(Tue)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


ローザス『ツァイトゥング』

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2009年11月28日(土)16:00
ローザス『ツァイトゥング』
彩の国さいたま芸術劇場(1階I列8番)


白状するけれども、私はこれまでローザスのダンスを2種類しか観ていない。ひとつはDVDの「Hoppla!」(1989年)、そしてもうひとつは、この日の公演である。だから、どんなふうなダンスだって新鮮な驚きに満ちている。

この日、バッハの対抗にはウェーベルンの音楽があった。いや、対抗にあったと言うより、ウェーベルンの音楽の効果を引き出すために、バッハの音楽がダシに使われていたような趣もあった(調性音楽のシンボルとして)。

前日に聴いたピアニスト、内田光子のリサイタルで、バッハの「フーガの技法」の第1曲が取り上げられていた。この日の終曲と見事に呼応する。まったく由来の異なる関心から切符をとった2日続きの公演が、こんなふうな偶然で結びつけられていいものか、とびっくりした。

芸術監督・振付のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルは、細川俊夫のオペラ「班女」の初演(2004年)で演出を手がけたのだという。8月に観た日本初演は新演出だったから知らなかった。私はすっかり嬉しくなってしまった。

終演後、新宿の紀伊国屋書店で中村雄二郎の『精神のフーガ』という本を偶然手にとった。アドルノの『新音楽の哲学』からの引用(「調性体系という「第二の自然」は、歴史的に生じた仮象である」25ページ)など、まさに今日のプログラムに込められていたメッセージなのではなかったか、と感じつつ裏表紙の腰巻きを見ると、なんとそこには細川俊夫の推薦文があった。

深夜に帰宅すると、テーブルの上に朝刊の切り抜きが載っていた。今年最後の吉田秀和さんの「音楽展望」の連載。吉田さんはウェーベルンについて、「私がヴェーベルンで愛するのは、たぶん、この音楽の純潔さ、それから、その姿の端麗さであろう」(『私の好きな曲』279ページ)と書いている。

もし今日のローザスの公演を吉田さんが観たら、どのような感想を持ち、どのような言葉で表現しただろうと思った。(上演時間:約107分)


使用・演奏曲目のプレイリスト
(プログラムにある通り。実際には前半から中盤にかけて曲順の異同があった模様。)
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Zeitung
Anne Teresa De Keersmaeker & Alain Franco


2009-11-27 - 内田光子

2009/11/30(Mon)
ライヴ - その他の演芸 | trackback(0) | comment(0) |


内田光子

20091127.jpg

2009年11月27日(金)19:00
内田光子 ピアノ・リサイタル
サントリーホール(2階P2列15番)


白状するけれども、私はこれまでモーツァルトのK310を2種類しか聴いていない。ひとつはグレン・グールドの1969年の録音、そしてもうひとつは、この日の実演である。だから、どんなふうな演奏だって新鮮な驚きに満ちている。

この日、バッハの対抗にはクルターグの音楽があった。いや、対抗にあったと言うより、クルターグの音楽の効果を引き出すために、バッハの音楽がダシに使われていたような趣もあった(「秩序」のシンボルとして)。

翌日に観たベルギーのダンスカンパニー、ローザスのプログラムで、バッハの「フーガの技法」の終曲が取り上げられていた。この日のコントラプンクゥス1と見事に呼応する。まったく由来の異なる関心から切符をとった2日続きの公演が、こんなふうな偶然で結びつけられていいものか、とびっくりした。

休憩時間に、吉田秀和さんをロビーで見かけた。7月の水戸室内管弦楽団の定期演奏会で後ろ姿を見かけて以来である。娘さんらしきご婦人と一緒で、お元気そうな様子だった。私はすっかり嬉しくなってしまった。後半はPの自席から1階席の後方に吉田さんの姿を見ながらシューマンの幻想曲を聴いた。

翌日、深夜に帰宅すると、テーブルの上に朝刊の切り抜きが載っていた。今年最後の吉田さんの「音楽展望」の連載。「年と共にますます出不精になってくるが、今年は2回東京に出掛けていって音楽会のいすに座る喜びを持った」(朝日新聞、2009年11月28日朝刊)とある。

その衰えない好奇心に感服しつつ、吉田さんなら、この日の内田光子のすばらしい演奏を聴いて、どのような感想を持ち、どのような言葉で表現するだろうと思った。


●演奏曲目
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310(8'21/10'16/3'04)
クルターグ:Fisのアンティフォニー(『遊び』2から)(1'01)
J. S. バッハ:フーガの技法 BWV1080からコントラプンクトゥス1(4'26)
クルターグ:ころがりっこ(『遊び』3から)(0'24)
クルターグ:肖像画(3)(『遊び』3から)(1'42)
クルターグ:泣き歌(2)(『遊び』3から)(0'45)
クルターグ:クリスティアン・ウォルフを想って(うつらうつらと)(『遊び』3から)(1'28)
J. S. バッハ:フランス組曲第5番 ト長調 BWV816からサラバンド(4'26)
クルターグ:終わりのない遊び(『遊び』3から)(1'48)
モーツァルト:ロンド イ短調 K511(11'00)
(休憩)
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17(12'50/7'40/13'08)
(アンコール)
シューマン:謝肉祭 作品9より告白(ヘ短調)(1'09)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 作品109より第1楽章(4'12)


2009-11-28 - ローザス『ツァイトゥング』

2009/11/30(Mon)
ライヴ - クラシック | trackback(0) | comment(0) |


内田光子

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2009年11月24日(火)19:00
内田光子 ピアノ・リサイタル
サントリーホール(2階P7列37番)

モーツァルト:ロンド イ短調 K511(10'54)
ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1(10'58)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 作品101(4'57/6'34/11'00)
(休憩)
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17(12'48/7'39/13'08)
(アンコール)
シューベルト:即興曲 変ト長調 作品90-3 D899-3(5'53)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310から第2楽章
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K330から第2楽章(6'42)


憂愁の淵に沈むモーツァルト。師の弦楽オーケストレーションを模倣するベルク。なおもフーガをピアノ曲に埋め込もうとするベートーヴェン。

作曲家の書法の違いを弾き分けながら、その境涯や性格まで見事に描き分けていたようで、知的満足度の高い前半だった。

時代を隔てた諸作品を一晩のプログラムに並べるという点で、ピエール=ロラン・エマールのリサイタルに近い印象をもつかと予想していたけれど、まったく違った。エマールはバッハやベートーヴェン、ベルク、その他、現代作品の形式上の通時性に光を当てようとするのに対し、内田は作曲家のより属人的な何かに肉迫しようとしているように思えた。たとえば、Aという作曲家は憧れをこう表現する、Bという作曲家は悲しみをこう表現する、と。反語のようだけれど、だからこそ解釈の純度は高く、演奏者の存在は水か空気のようになる。

しかし、そんなことより、特筆すべきは弱音の美しさ。大切なこと、本当のこと、ここだけの秘密は、小さな声で語られる。モーツァルトのロンドの最初のEの最弱音。それがもう一度繰り返されるとき、わずかにわずかに強くなった。制御する意志の強さと固さと裏腹に、音は静寂からそっと生まれ出てきて静寂に還る。これが音楽の真髄なのであるなあ。

あとは、呼吸。シューマンの第1楽章の終盤、Adagioのピアニッシモで、C-F-E♭、E♭-D(フェルマータ)、そしてスーッ!と鋭く息を吸って、勢いよくDDと低音を叩き付けたところ。このあたりの呼吸、間合いは、もしかしたら湯浅譲二が「能の謡の呼吸」「音楽ならではのnarrative」と言うのと通底するのではないだろうか。
(シューベルトBOXの内田のポートレートは能面のようだ。ちなみに。)

そのシューマンの音楽は、聴く者の体内にもおのれの呼吸とともに染み入ってきて、最終楽章はもう少しで泣くところだった。

こういう演奏をする人は、登り詰めたと思えばまた新たな峰を見つけ出し、余人が与り知らない高みに挑むのだろうな。磨き抜かれたタッチを聴き、ピンと伸びた背筋を見て、管見から推測するばかりだが。

また金曜日を楽しみに。

2009/11/25(Wed)
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ヘルベルト・ブロムシュテット;チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

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2009年11月23日(月・祝)19:00
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
サントリーホール(2階RA1列19番)

ブルックナー;交響曲第8番 ハ短調 WAB.108(ハース版)(14'25/13'44/26'17/20'47)


ブルックナー苦手克服シリーズ、今年の第3ラウンド。スクロヴァチェフスキ;読響の9、シャイー;ゲヴァントハウス管の4に続いて。今晩の演奏を聴いて苦手意識はずいぶん薄らいだかな。この長ったらしくもっさりした音楽を、スコアの音符を追いながら聴いているうち、少なくとも退屈だとは思わなくなってきた。

チェコ・フィルは、マタチッチ指揮(ブルックナー7番)の録音が初学者の私にもわかりやすく、ブルックナーへのよいイントロだった。もう2年近く前のことだけれど。

どの楽章のどこがと今日は細かく書き残すことはできないので、印象に残った場面を走り書き。第1楽章、393小節からの「あきらめ」を、ブロムシュテットはひときわ丁寧に演奏した。第2楽章、トリオ後半の低弦の暗い響きは、マタチッチの録音で聴いたそれ。Da capoした後のスケルツォは1回目とずいぶん細かくニュアンスを違えて奏されたように思う。Adagioの前半で第2ホルンがソロを終えると、隣りの第1ホルンの人が「よくやった!」とばかりに膝を叩いて“拍手”をしたところで、楽員たちのモチベーションの高さを感じた。壮大なフィナーレを聴きながら、ふと「マーラーはこの曲を指揮したのかな?」と気にかかり、帰宅して資料を調べたら、指揮していなかった(『マーラー事典』立風書房、P. 136を見る限り)。

ホルンを中心とする金管、木管(特にフルートがすばらしい!)、言うまでもなく弦。豊かでコクのある響きだった。ブロムシュテットはN響アワーにしばしば登場するので、初めて観る気がしないのだが、安い席だったおかげであらためて指揮ぶりを堪能できた。背筋をシャンと伸ばし、まったく迷うところがない。82歳、すごいな。

終演後のサイン会。手持ちのスタディースコアはノーヴァク版。ハース版を演奏する指揮者にこれを差し出してよいものか、しばらく迷ったが、いたずら心で本の見返し部分を指定した。果たしてブロムシュテットは版をチェックした。スクロヴァチェフスキと同じだ、面白い。ハース版のスコアは、来年3月に再び8番をスクロヴァチェフスキで聴くときまでに入手しよう(2010年3月25日はインバル;都響も同じプログラムをやる特異日)。

今日の弦5部は14-14-12-10-8(vnは対向配置)。ハープは2(舞台上手)。

---
今日は昼から茅ヶ崎の友人宅に。日没前の海岸で、三日月と烏帽子岩。長かったけれど楽しい1日だった。

2009/11/24(Tue)
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エリアフ・インバル;東京都交響楽団、半田美和子

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2009年11月19日(木)19:00
東京都交響楽団
第688回定期演奏会
指揮:エリアフ・インバル
ソプラノ:半田美和子
ソロ・コンサートマスター:矢部達哉
サントリーホール(2階C5列23番)

ラヴェル:シェエラザード(9'05/2'52/3'37)
マーラー:交響曲第4番 ト長調(16'13/9'47/18'55/8'42)


マーラー(弦5部16-14-12-10-8)。出だしの人を食ったような3小節。スコアでは上段から、

(1)第1と第2フルートがポコ・リタルダンド
(2)第3と第4フルートがインテンポでpまでディミヌエンド
(3)第1~第3クラリネットがディミヌエンドしながらポコ・リタルダンド
(4)鈴はppのまま強弱を変えずにインテンポ
(5)第1ヴァイオリンがpで始めてウン・ポコ・リタルダンドしながらクレッシェンド

3小節目で木管(1)(2)がはらはらとこぼれ、鈴(4)の金属音の残響とクラリネット(3)が減衰していくところ、やけに表情豊かなヴァイオリン(5)がgraziosoで立ち上がってくると、音楽の成り行きをすっかり変えてしまう。決めてしまう。

いくつか持っている録音の大半は、この3小節目の鈴パートをリタルダンドかディミヌエンド、またはその両方をする。聴いた中でスコアにもっとも忠実なのはシャイー(吉田秀和さんは「正確精密」と表現する)、その次はハーディング。

私の耳では一度にすべてを聴き分けることができないので、インテンポの鈴に注意して聴くことにした。果たしてインバルは3小節目でリタルダンドした。スコアに指定がないから、ここはそういう解釈ということになろう。

なぜだかわからないが少しショックだった。そうこうする間に10小節目でホルンの音がひっくり返った。ここらがもう躓きの石である。

その他の各パート各パートは(太書きするが、ホルン以外は)、きちんと仕事をしていたのではないかと思う。しかしそれだけでは説得されないというか、全体としてめざす音楽はこれなのだというのが伝わってこない。たとえば練習番号19の11小節は、同20のfffに向けてものすごいスピードで疾走した。冒頭からの細部の積み上げを経てなら納得し感心もしようが、それなしでは「どうしてそこまで急いで?」と感じてしまう。

先日のシャイー;ゲヴァントハウス管のマーラー1では、細部の「正確精密」な作り込みが徹底していて、それでいて音楽の自然な流れを妨げず、たいへんな効果を上げていた。それと比較すると、客演指揮の限界というのはあるのかなあ、と思ったり。

収穫だったのは、第2楽章、vn2挺を持ち替えての矢部の熱演。そして第3楽章冒頭のva、vc、cbによるカンタービレの豊かな響き。第4楽章の半田美和子の歌は美しかった。しかし、残念ながら歌を十分に楽しむには、2階席では遠すぎた。

天井から録音用のマイクが垂れていたので、この演奏もCDになるのだろうか。録音で聴いたらまた違った印象を持つかもしれない。3月のチャイコフスキー5番も、実演ではあまりにドライな演奏で唖然としたものだが、出たばかりのCDを会場で買って帰って聴いたらものすごいので驚いた。

ああそうだ、ラヴェルのシェエラザード。録音で聴いたアンセルメ;スイス・ロマンド管ではちょっと恥ずかしくなるような東洋風味があったけれど、その点がうまく緩和されていてよかった。3曲目の冒頭で木管と弦がたいへん美しくブレンドして、羽根布団に横たわるような心地よさを感じたところ、い~いタイミングで隣のおじさんが鼾をかきはじめた。グー、スピー。

2009/11/22(Sun)
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